日本では学校を変えることはハードルが高すぎる

政井マヤ
子どもたちと笑顔を見せる政井さん

── お子さんが不登校の間は、親御さんもつらいことが多いかと思います。政井さん自身は当時を振り返っていかがですか?

 

政井さん:一度学校を変えたことで、「また何かあっても、どうにかなる。選択肢は常にあるはず」と思えるようになりました。

 

日本では「途中で学校を変えること」に対するハードルが高いと感じます。でも、環境が合わなければ変えてもいい。それは「転校」も現実的な選択肢としてあっていいと大いに思います。また、しばらくの間「家で学ぶ」や「オンラインで学ぶ」という選択肢があってもいい。本人が安心して過ごせて、また学び続けられる環境を早めに見つけてあげられたらよいのではと思います。

 

再び不登校になっても、ほかの選択肢を探して「ベストでなくても今よりもベターな方法を選ぼう、選び続けよう!」と、そんな風に言えると思います。もちろん、あの不登校の日々を想像すると「もう一度乗り越えられるかしら…」と少し構えてしまいますが、選択肢は昔よりも確実に増えています。

 

なにより、不登校はネガティブなこととは私自身が今はまったく思っていません。「学びをやめなければ大丈夫」と自信を持って言えます。

 

── 実際に学校に行けるようになった今では、どのように感じていますか?

 

政井さん:不登校のときは「この先どうなるんだろう」と不安でいっぱいでした。でも、振り返ると、一緒に悲しんだり、悩んだり、喜んだりした時間は大切な思い出ですし、親としても多くのことを学ぶ機会だったと思います。

 

子どもともよく、「不登校の経験があったから今があるよね」と話します。もう一度繰り返したいわけではありませんが、今の子どもの成長を見ると、その経験も大きな糧になっていて、結果的によかったと感じることも多いです。

 

日本社会は同調圧力が強いと言われます。なかでも学校という場は特に皆が同じであることが求められる風潮にあります。子どもも狭い社会の中でそれを敏感に感じています。なので、親が「世界はもっと広い」「いろんな生き方があっていい」と伝えてあげられたら、と思っています。

 

政井マヤ
子連れで食事へ

── お子さんと当時のことを話せるのは素敵な関係ですね。

 

政井さん:「不登校」というワードをネットで調べると、すぐに「親、しんどい」という検索結果が出てきます。子どもも大変ですが、親もとても大変です。それは心配する気持ち、不安、自責の気持ちに加えて、丸一日子どもを見守らなくてはならないから。仕事への影響は多大です。さらに追い討ちをかけるように周囲からのプレッシャーや心ない言葉がのしかかります。 

 

わが家の場合、多くの先生方、保健室の先生などにサポートしていただき感謝していますが、なかには不登校への理解のない方がいて、不用意なことを言われ傷つくこともありました。子どものために、子どもと一緒に一生懸命頑張っている親を追い詰めるのでなく、温かく見守る社会であってほしいと思います。

 

私は叔母の言葉にいつも支えられていました。叔母は子どものよいところを見つけては、褒めてくれる人なのですが、不登校のときはもっと褒めてくれていました。子ども本人に言うこともありましたが、特に私に対して。「とてもいいものを持っているいい子だからなにも心配もないわよ。長い目で見ればどうってことないから」という調子で、ときに弱気になりそうになる私を、たくさんの料理をお土産に励ましてくれていました。

 

まずは親を元気にしないと、とわかっていてくれたように思います。そんな叔母の支えもあったので、私はいつか不登校児のお母さんたちを少しでも支えられる側になりたいと思うようになりました。すぐになにかできるわけではないのですが、無用に親を責めないでとろいろな場所でと伝えていきたいと思っています。

 

 

子どもの不登校で自身もつらい思いを経験した政井さん。実はそれと前後して、30代後半から更年期障害のような症状に悩まされ続けていたそうです。治療のかいあり、現在はここ10年でいちばん元気と語る政井さんですが、体力を過信せず、もっと身体に向き合えばよかったと明かします。

 

PROFILE 政井マヤさん

まさい・まや。1976年生まれ、メキシコ出身、兵庫県育ち。2000年にフジテレビにアナウンサーとして入社。2007年に退社して、現在はフリーアナウンサーとして活動。3人の子どものママ。夫は俳優の前川泰之氏。

取材・文/酒井明子 写真提供/政井マヤ