育児ノイローゼはこのタイミングで気づけてよかった
── 小野塚さんは育児ノイローゼを経験されたことを告白されていますが、どのタイミングで自分がそうだと気づいたのですか。
小野塚さん:子どもが1歳から1歳半のころに友人と食事をしたとき「毎日泣いているんだよね」と相談したことがあったんです。すると「それは育児ノイローゼだよ」と指摘されて、病院に行くよう薦められました。症状を病院の先生に伝えたら育児ノイローゼだと。ただ、このタイミングで気づけてよかったとも言われました。当時は子どもに対するイライラがすごかったので薬を処方され、まずはホルモンを安定させることに。それ以降は自分の気持ちの浮き沈みで子どもを怒ったりすることはなくなりました。そう考えると、あのとき、病院で受診していなかったらさらに症状がひどくなっていたかもしれません。子どもに手を出していたかもしれないと思うと…怖いですね。
── 限界が来る前に病院を受診したり、家族や友人など周囲にSOSを出すことは大切なことですよね。

小野塚さん:経験して感じたのは「頼れるものはすべて頼った方がいい」ということ。育児ノイローゼって完璧主義者がなりやすいような気がします。母親はこうでなければいけないという概念をまずは捨てることが必要かなと。私の場合は掃除にしても料理にしても手が抜けないタイプで部屋をキレイにしないと仕事ができない。インスタント料理には頼らずできる限り手作りでという考えでした。離乳食はすべて手作り。ただ、自分がちょっと頑張ればできるということが積み重なって、知らない間に限界が来る。でもそれで体調を崩したら元も子もないし、自分が倒れたらそれこそ子どももダメになってしまう。だからこそ、自分の体を何よりも大切にしなければと思いました。子育ては頑張りすぎず、根を詰めないことが大事ですね。
「私だけの子どもじゃないから」
── 手抜きという言い方は語弊がありますが、程よく力を抜くところは抜くようになってから変化したと感じますか。
小野塚さん:雲泥の差があるぐらい楽になりました。今も年に何日か仕事のために徹夜をすることはありますが、少し力を抜いて余裕ができたことで、夜もぐっすり眠れるようになりましたし、料理ひとつをとっても楽しくなりました。
── 育児に関して悩んだときにはお母さんに相談されることは多かったですか?
小野塚さん:はい。両親が自宅から2、3分のところに住んでいたので、よく連絡をしたり、子どもの面倒を見てもらったりすることは今もありますね。もう1度育児をしているみたいで楽しいと言っていますし、何をやっていてもかわいいみたいです(笑)。今は両親がいないと私たち夫婦の仕事が成り立たなくなっているので、本当にありがたいですし感謝しかありません。
── スキーのシーズンに入る忙しい冬の時期は、お母さんのサポートがかなり大きいと思いますが。

小野塚さん:主人と「この人とは一生一緒にはいられないかも」と思うぐらい大喧嘩しました(笑)。今まではなかなか聞いてくれなかったけど、しっかりと話をして主人にも理解してもらっていますね。
── 小野塚さんの子育てに関してお母さんは理解はしてくれていますか?
小野塚さん:母親もワンオペ世代というか、「そんなの母親が頑張って当たり前でしょ」「旦那は仕事をしているんだからあなたがやりなさい」という考えの世代なので、そういう言葉をかけられることが多々ありましたね。そんなときは「私だけの子どもじゃないから」「今、令和ですけど」と言い返したりして(笑)。それは母親に対してだけではなく、家族にもどこでもキッパリと言いきっています。育児をするのは、働いてる、働いていないとか稼ぎの問題じゃないし、子どもに対してのスケジュール調整は母親と父親どちらかがしなきゃいけないわけじゃない。それは主人や家族にはっきり伝えています。
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育児とキャリアの狭間で葛藤し、育児ノイローゼも経験した小野塚さんは昨年末、「挑戦する母」をテーマにしたドキュメンタリー映像『MOMENTAL』を制作し、公開しました。「女性は母親になったら何かを諦めないといけないのか」、そんな生きづらさを感じている女性に、母親になっても挑戦する姿を届けたかったと明かします。
PROFILE 小野塚彩那さん
おのづか・あやな。1988年3月23日新潟県生まれ。2歳からスキーを始める。2014年ソチ五輪のスキー・フリースタイル ハーフパイプで銅メダルを獲得。W杯では2度年間総合優勝を果たした。2018年平昌五輪では同種目5位。現在はフリーライドスキーに転向し、日本人女子として初めてフリーライドワールドツアーにも出場した。
取材・文/石井裕美 写真提供/小野塚彩那