2014年ソチ五輪の女子スキーハーフパイプで銅メダルに輝いたプロスキーヤーの小野塚彩那さん。競技引退後はフリーライドの世界で活躍を続けています。ただ、2020年に長男を出産するとアスリートと母の狭間で強い葛藤を感じるようになって── 。(全2回中の1回)

初めての出産、夜泣きが2歳ころまで続いて

── 小野塚さんはフリースタイル選手として活躍していた16年9月に結婚。現役引退後の20年4月に妊娠が判明し、その年の12月に出産されました。当時はフリーライド(自然地形に対して型にはまらずに滑るスキー)の世界でさらにキャリアを重ねていきたいと考えていた時期だったかと思いますが、どんなお気持ちでしたか。

 

小野塚さん:どれぐらいで雪上に戻ってこられるかわからない不安はありましたが、以前から子どもが欲しいと考えていたので、妊娠がわかったときはうれしかったですね。競技柄、冬のトップシーズンに被らない妊娠計画を立てていたんですが、なかなか計画通りには妊娠ができなかったんです。ただ、妊娠したのはコロナ禍で、大会は中止になっておらず、外出自粛など、世の中の動きが止まったかのような雰囲気になって。妊娠中もできる範囲内でトレーニングを続けていましたし、出産して1か月後には雪上に戻ることもできたんです。

 

小野塚彩那
雪山には雪崩をはじめとしたリスクがあるが、自分の思い描くラインやジャンプをしながら滑り降りていくのがフリーライドの魅力

── 妊娠中もトレーニングを続けていたんですか。

 

小野塚さん:つわりはあまりなかったのですが、食べないと気持ち悪い、空腹が耐えられないという時期はありました。ただ体調が悪いということはあまりなかったですね。トレーニングはドクターと相談しながら行っていました。母体によくないので呼吸を止めるようなウェイトトレーニングなど、激しい運動は禁止されていましたが、軽いトレーニングなどある程度続けられるところは続けていたんです。

 

── ご自身にとっては初めての妊娠、出産ということで不安はありませんでしたか。

 

小野塚さん:不安はとくには感じていなかったんですが、出産後がとにかく大変で。眠れなかったこともそのひとつ。子どもの夜泣きや授乳などがあるので3時間おきぐらいで起きないといけないことはある程度想定していたんですが、それも1、2か月くらいすれば落ち着くだろう思っていたんです。でもその状態が結果的には2歳くらいまで続き、安定した睡眠がとれませんでした。自分も初めての育児で余裕がなく、子どもが寝ないということに対してのストレスや疲労が蓄積していったと思います。それに母親としてのタスクに加えて家事など、やることが多すぎて…。「なんでこんなにひとりだけが頑張らなきゃいけないんだろう」と当時はモヤモヤすることも。

 

現役時代、オリンピックや世界選手権に出場するために「これ以上つらいことって人生のなかでないだろう」と思うぐらい厳しいトレーニングを行ってきたつもりでしたが、それを遥かに上回るほど育児は大変でした。ライダーとしてフィールドに戻りたいという気持ちは人一倍強いのに、自分のことに費やせる時間はもちろん、睡眠時間さえもとれない。やりたいけどできないという葛藤を抱えて、とくに産後の1、2か月はかなり追い込まれていました。

 

── 育児はスポーツのように試合やレースなどのゴールが見えているわけではないですもんね。

 

小野塚さん:トレーニングは100%自分に対して時間やお金などを注げて、つらさを乗り越えた先に目標を達成できますが、育児は終わりがない。もちろん、決して子どもが嫌だとか、かわいくないというわけではないんです。でも、どこか「やらなきゃ」という義務感のようなものを感じてはいたと思います。自分のやりたいこと、そしてやらなければいけないことのバランスを取ることが当時はとても難しかったです。

 

── ストレスを抱えたとき、旦那さんに相談されましたか。

 

小野塚さん:主人は非協力的なわけではなかったんですが、仕事柄どうしても家にいる時間が少なかったので、物理的にワンオペ状態にならざるをえなかったんです。もちろん、ストレスを抱えたときは相談しました。ひとりですべてをこなしていることに限界を感じて泣いて電話したこともありました。