どんなに愛し合っていても私のもとから離れちゃうんだ 

鈴木砂羽
休日に友人とアフターヌーンティーを楽しむ

── お父さんに対して、気持ちをぶつけることはありましたか?

 

鈴木さん:一度怒ったと思いますよ。「なんか勝手だね。こんなにママが泣いててかわいそう」って。

 

母が悲しむ姿を見て、どんなに愛し合っていても「男と女はいずれ離れてしまう」と子どもながらに漠然と感じましたし、父親をモデルケースとして見ていたので、自分の中の男性像や交際に対して、「男の人はずっとそばにはいてくれない」と思い込んでしまったのかもしれません。父親が自分と近い年齢の女性と出て行ったことは、子どもながらに気分が悪かったので、しばらくは、歳上の男性が苦手な時期もありました。

 

── ご両親の離婚後は、お父さんとは連絡を取っていましたか?

 

鈴木さん:父も、私と母も浜松に住んでいて、家はそんなに離れていなかったんです。父に対して複雑な思いを抱えるいっぽうで、母と何かあればすぐに父に連絡して、母の文句を言ってました。父に不満を持ちながらも、自分のなかでどう消化させていいのかもわからなかったのかもしれません。

 

── 今は、お父さんとの関係はいかがですか?

 

鈴木さん:父とはたまに話をしますし、会えば一緒に食事にも行きますよ。今年の正月にLINEをしたら「砂羽からLINEきてうれしい!」って喜んでいたと聞きました。父に対して「あのときやりよったな」と今でも思ってますが、父に対するネガティブな感情から解放されたいとも思うんです。父を許す、許さないというよりも、私は十分に育ったし、父にとっても試練があったのではないでしょうか。私は両親に対して感謝の気持ちとともに、葛藤を常に抱えて生きてきました。今でも母とは小競り合いしますが、これでもだいぶ落ち着いてきたとは思います。父に対しては放置というか(笑)、ガッツリ向き合うにはまだもう少し時間が必要かもしれませんね。

 

 

父が家を出たことで母とふたり暮らしになった鈴木さん。母と娘の関係性では頼りにしていた反面、次第に息苦しさを感じることも。こじれた母娘の仲が変わったのはコロナ禍でのこと。自分を内省する時間ができたことで、原因はすべて自分にあると思えたことが、母に対する葛藤の解消に繋がったそうです。

 

PROFILE 鈴木砂羽さん

すずき・さわ。1972年生まれ。静岡県出身。94年、映画『愛の新世界』で主演デビューし、ブルーリボン賞など各新人賞を多数受賞。テレビ朝日の人気ドラマ『相棒』シリーズに出演するなど、ドラマ、映画、バラエティーほか、幅広く活躍中。

 

取材・文/松永怜 写真提供/鈴木砂羽