小学5年生のときに両親の離婚を経験した鈴木砂羽さん。当時38歳だった父親が若い女性と家を出て行ったことは、その後の鈴木さんの人生に大きな影響を与えます。(全3回中の1回)
ある日突然家を出て行った父

── 美大を卒業されたご両親は24歳のときに結婚されて、鈴木さんを出産。鈴木さんから見てどんなご両親でしたか?
鈴木さん:若くして親になったので、今思えば、子どもが子どもを育てているような感じだったのかもしれません。まだまだ遊びたい年齢だったと思いますが、一生懸命育ててくれました。しつけに厳しくて、ご飯を食べるときの箸の持ち方はもちろん、「脇に卵を挟むような感じで食べなさい」「飲食店で、はしゃがない」など、しっかりと教えてくれました。
── ご両親はよく一緒に遊んでくれたそうですね。
鈴木さん:楽しかったですね。夏になると、家の庭でゴムプールを膨らませて水遊びをしたり、川に行って泳いだり、外食や旅行にもよく連れて行ってくれました。父は、美大の受験生向けの塾と、自主制作の映画の団体を主催していたので、私をカメラで撮って、自宅の壁に8ミリ映画を映して見せてくれることもありましたよ。近所の運動場でタコ上げをしてくれたことは、楽しかった思い出のひとつです。
母もパワフルな人。母が自転車の後ろに私を乗せるとき、今のようなチャイルドシートがなかったので、私が座る座面に座布団を敷き、着物の紐で母と私を縛って、私が自転車から落ちないようにしていました(笑)。また、父は塾生の生徒さんたちや自主制作映画の仲間を自宅に招き、みんなで食事を楽しんでいた姿はよく覚えています。家に来たお兄さん、お姉さんたちは私を可愛がってくれて、家の賑やかな雰囲気がとても好きでした。
── しかし、そうした楽しい日常を過ごすなかで、鈴木さんが小学5年生のときにご両親が離婚することに。
鈴木さん:父が38歳のとき、若い女性と一緒になると母から聞きました。当時の両親はいさかいが絶えず、私としても辛い日々で…。友達が家に遊びに来ていたときでさえ、両親のケンカが始まったこともあったんです。あまりに声が大きいし、何より友達に両親の修羅場を見せてしまうことが恥ずかしくて、2階から1階にいる両親のもとに行って「もうケンカはやめてよ!」と言いました。結局、私が小学校5年生のときに離婚することになったんです。
── 当時、ご両親の離婚についてどう思いましたか?
鈴木さん:子どもながらに状況は理解していたし、もちろん悲しくて寂しかったと思いますよ。でも「パパとママが別れちゃイヤー!」と感情的になるというよりも、2人のことはよく分からなかった、というほうが正直な気持ちです。母は父に対して悲しみと怒りの感情を持っているけれど、父はそうした状況で自分がどうすればいいのか分からないように見えました。
実は、私には妹がいたんです。妹は生まれながら心臓が弱くて、私が7歳のとき、妹が3歳のときに他界しています。母は看病もあって妹につきっきりでしたし、その間、私は祖母の家に長い間預けられていたので、家族が離れて生活することにも、すでに耐性ができていたのかもしれません。