2013年に難病・スティッフパーソン症候群の疑いで入院生活を送っていた作家でエッセイストの中村うさぎさん。退院後しばらくは、中村さんの夫が中村さんを介護する生活を送っていました。介護される側になって、気持ちに変化があったと中村さんは言います。(全4回中の2回)

ひとりで生きているのが、自分の誇りだったけど…

── 体中のあちこちが突っぱって痛くなり、最終的に100万人に1人の難病とされるスティッフパーソン症候群の疑いがあるとして、治療を受けることになりました。当時を振り返り、いちばんつらかったことはなんですか?

 

中村さん:入院中は、とにかく全身が痛かったですね。でも、病院には私以外にも苦しんでいる人がたくさんいます。ほかの患者さんのうめき声が聞こえてくることもありました。明け方に体がすごく痛くてナースコールを押したいんだけど、病院中でナースコールが鳴り響いていて、看護師さんがバタバタと走る音が聞こえるんです。

 

── ナースコールを押すのもためらってしまいますね。

 

中村さん:生死をさまよっている人がいるかもしれないのに、私が「痛い」という程度でナースコールを押していいのか、かなり悩みました。ナースコールを我慢したこともありましたね。自分以外の人も苦しんでいるから、自分の要求がどこまで正当なのか、わがままなのかがわからなくなって。自分も全身がすごく痛いけど、周りの人たちもそれぞれの苦しみや痛みを抱えているので、自分だけが特別つらいとは思えませんでした。

 

病院でリハビリ中の中村うさぎさん

── 退院して、ご自宅に戻ってからはどうでしたか?

 

中村さん:退院して、自分以外はみんな健康な生活を送っているという状況のほうがつらかったですね。しばらくは車いすで生活をしていて、トイレにもひとりで行けない状況でしたから。みんなにすごく迷惑をかけているという思いが強かったです。