「志穂はとにかく踊っていたよね」

── 高校時代の印象に残っている思い出はありますか?

 

高野さん:友達はみんな好奇心旺盛で、私が過ごした海外での生活や学校の話にすごく興味を持ってくれて、私の話を喜んで聞いてくれました。私をいじめるわけでも、無視するわけでもなく。日本語の習得は大変だったけれど、友達との時間は、いまだに私の中でいちばん大切な思い出です。

 

この前も同窓会があって、20年ぶりくらいにみんなと再会したんです。当時を振り返って話していたら、「志穂はとにかく踊ってたよね。廊下を普通に歩いているところを見たことがない」って(笑)。教室を移動するときも、たらったらって、タップダンスのステップを踏みながら歩いていたみたいで。自分では覚えていないんですけど、声をかけたくなるくらい賑やかだったようです(笑)。

 

高野志穂
10歳から15歳まで英国の全寮制バレエスクールで過ごしていた高野さん

── 楽しい高校生活を送られたのですね。

 

高野さん:友達にはテストのときにもよく助けてもらいました。苦手な古文の試験のとき、先生が教室に入ってきて「みんな席について」と言うと、親友がすれ違いざまに「志穂、『もが』は願望だからね!」って小声で言ったんです。そしたら本当に試験に「『もが』の意味は?」って出たことがあって。「あ、書ける!ありがとう!」みたいな(笑)。

 

この前の同窓会で当時の先生方と久しぶりにお話ししたのですが、「高野は頑張るエネルギーだけはすごかったから、これだけ頑張っている人に、もっと結果を出せなんて言えなかった」と…。先生たちはみんな私の日本語習得のことなど親身になって考えてくださっていたし、友達は一緒に笑ったり、ときには心配してくれたり。今思い返してみても、ありがたい高校時代だったなって思います。

 

── 高野さんが日本語習得の段階から、日々努力されていたことが伝わってきます。

 

高野さん:私が通った高校の短大には演劇科があるのですが、高校の演劇部も盛んで、私は演劇部に入りたくてその高校に進学したんです。でも、学年主任の先生からは「高野さんは部活に入るより先に日本語の習得を頑張ってください」と言われてしまい。正直、かなり落ち込みました。

 

ただ、日本で役者になるためには日本語習得が必須だとわかっていたので、厳しい言葉で私を奮起させてくれた先生に感謝しています。