「ママ笑ったらかわいいのに…」家族の励ましに救われ
── メンタルが不調になると、これまで当たり前にできていたことができなくなり、それを受け入れられずにさらに落ち込むという悪循環に陥りがちです。それまでと日常生活も変わってきますよね。
音無さん:そうでしたね。寝つきが悪く、心がつねにザワザワして落ち着かない。頭の中が空洞で、ピョンピョンと虫が飛んでいるかのような感覚で、思考がまとまらず、話すのもおっくうでした。夕飯の支度をしなくてはいけないのに、何を作ればいいのかわからず、何時間も腰が上がらない。スーパーに行っても、カゴに入れては戻してを繰り返し、店内をグルグル回っているだけ。そのうち「周りの人が変な目で私を見ているのでは…」と被害妄想的な考えが浮かんできて、逃げるように店を出たり。電話が鳴っても出られないし、部屋も散らかり放題でした。
下の子はまだ赤ちゃんで、上の娘は小学校に入学したばかり。ママとして頑張りたいのにお弁当が作れず、罪悪感でまた落ち込み…。「私は生きている価値がない」とだんだん考えるようになり、「死にたい」が口グセになっていたんです。
── 苦しい思いをされたのですね…。病院にはかかられたのですか?
音無さん:いえ、行けませんでした。いまでこそ、心の不調でメンタルクリニックを訪れる人も多いですが、当時は、精神科の病院に対する世間の偏見が強く、受診のハードルが高かったですね。私自身も心の病気をどうやって治すのか見当がつかず、なにやら恐ろしい場所のように感じて、どうしても行くことができなかったんです。
── 暗いトンネルを抜け出すきっかけは、なんだったのでしょうか?
音無さん:立ち直るきっかけは、家族でした。あるとき娘に「ママはどうして笑わないの?ママ、笑ったらかわいいから、笑ってよ」と言われて、ハッとしたんです。そういえば、笑うことなんてすっかり忘れていたなと。そこで、手術以降、ずっと避けていた鏡に向かってみると、そこにいたのは、ボサボサ頭で無表情の自分でした。「これではいけない」と、まずは鏡に向かって笑う練習からスタート。子どもと一緒にお風呂に入る、散歩に出るなど、一歩ずつできることを増やしていくうちに、心が元気を取り戻していきました。
夫は「死にたい」が口グセになっていた私に、「子どものために、あと5年生きてみよう」「あと3年、あと1年生きてみよう…」と言葉をかけ続けてくれ、つらいときには手を握って寝てくれました。私にとって、家族の存在がいちばんのカウンセラーだったのだなと感じます。
── 心の問題は、誰もが他人事ではありませんよね。もしも、つらい状況の人が周りにいる場合、どんな言葉をかけてあげるのがよいのでしょうか?
音無さん:よく「頑張ってという声かけはよくない」と言われますが、大事なのは、本心から気づかう言葉かどうかだと思うんです。寄り添う気持ちがあるかどうかは、相手に必ず伝わりますから。「なにか手助けできることがあったらいつでも言って。応援しているからね」という声のかけ方をできればしてあげてください。
PROFILE 音無美紀子さん
おとなし・みきこ 1949年、東京生まれ。66年、劇団若草に入団。71年、TBSドラマ『お登勢』のヒロイン役で一躍人気女優に。以来、数多くの映画やドラマ、舞台に出演。著書に『がんもうつも、ありがとう!と言える生き方』など。夫は、俳優の村井國夫さん。
取材・文/西尾英子 写真提供/音無美紀子