がんは治療中も過酷ですが、その後の日常生活に大きな支障をきたすことも。そして、いつしか気持ちの面でもふさぎ込んでしまう。音無美紀子さんが経験したのは、芸能人ががんを公表することさえままならなかったころのことでした。(全4回中の1回)
病室のネームプレートも偽名を使って
── デビュー以来、半世紀にわたり、女優として活躍してきた音無美紀子さん。2人のお子さんにも恵まれ、順風満帆だった38歳で乳がんを患い、全摘手術をされました。さらにその後、うつ病で苦しみ、一時は死がよぎるほどのつらい経験をされたそうですね。さかのぼって、乳がんが発覚した経緯から伺えますか?
音無さん:きっかけは、ママ友との井戸端会議でした。がん検診でしこりが見つかったというママ友がいて、「ほら、このあたりよ」と触らせてくれたんです。「自分で触って気がつくがんがあるのね」と、みんなで驚いていたのですが、その晩、左の乳房に小さなゴルフボールのようなしこりがあることに気づきました。「まさか…」と思って産婦人科に行くと、触診で「おそらくがんではないでしょう」との診断。念のためにと大学病院の紹介状をもらったものの、「仕事がひと段落したら行けばいいや」と3か月近く放置していたんです。そうしたら、だんだんと症状が出てきて、「これはおかしいぞ」と。
── どんな症状だったのですか?
音無さん:左腕を上げると腕がつって胸に痛みが走るんです。あわてて大学病院で検査をしたところ、乳がんが発覚しました。それまで病気らしい病気はしたことがなく、家族にがん経験者もいませんでしたから、「まさか自分が30代でがんになるなんて」と、ひどく動揺しました。当初はステージ1との診断でしたが、その後、わきの下のリンパ節にも転移しており、ステージ2と判明。医師から「大きく切ったほうがいい」と言われてためらいましたが、「バッサリ切ってください。妻の命を救ってください」と、夫が懇願する姿を見て決意が固まり、左乳房全摘とリンパ節切除の手術を受けました。
── がんになったことは誰にも明かさず、ひっそりと治療されていたとか。どういう思いがあったのでしょうか。
音無さん:まだ若かったので、手術で胸を切除した姿を想像されるのが怖かったし、イヤだったんです。そのころは、芸能人でがんを公にするケースはほとんどなかった時代。知られてしまうと「女優生命が絶たれてしまうのでは」という不安から、絶対に知られなくないと思っていました。ですから、マスコミにバレないようにこっそり入院し、病室のネームプレートも偽名を使って。ひと目を気にしてコソコソ隠れて治療していたので、同じ病気の患者さんとふれ合って情報交換したり、気持ちを共有することもできず、孤独な闘病生活でした。
私の妹も後に乳がんに罹患したのですが、患者さん同士で「大丈夫よ」と励まし合ったりすることで、心の支えになったと聞いていました。ですが当時の私は、病気になったことを、「挫折した」「恥ずかしい」と感じて、かたくなに隠し続けてしまった。それが、後にメンタルの不調を招く原因になってしまったのだと思います。