「どんな家庭にも突然起こることだった」と、当時を振り返る介護タレントの西田美歩さん。中学2年生のある日、母に異変が起こり、学校にも行けないほど日常が変わってしまいます。(全4回中の1回)

※本記事は「自死」に関する発言が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。

母の糸が切れて変わった日常

西田美歩
10代のころの西田さん

──本来、大人が行うべき家族の世話を子どもが日常的に行う、 いわゆる「ヤングケアラー」として、学校などに通えない時期があったそうですね。当時について教えてもらえますか?

 

西田さん:ヤングケアラーという言葉が普及してきたことで、「私ってそうだったんだ」と思うようになりましたが、当時はその意識はありませんでした。父も一緒に頑張ってくれたので、ひとりで無理をしている自覚がなかったのかもしれません。

 

わが家は父、母、4つ年上の兄、私の、ほかと変わらない一般的な家庭でした。それが、私が中学2年生のある日、「頭の中の糸がプツンと切れた音がした」と、母が突然言い出して。それを境に、母がいわゆる双極性障害のような状態になってしまったんです。

 

── 突然だったんですか?

 

西田さん:はい。それまでは何も問題のない家庭だったので、まさか自分の家でこのようなことが起こるとは思いもしませんでした。どんな家庭にでも起こることなのだと、非常に驚きました。

 

その日以来、母は日中は起きることができず、寝たきりのような状態になりました。でも、夜になると外にお酒を飲みに行く。そして夜中に帰ってくると病院でもらった治療薬を飲んで暴れるという日々でした。私や父はもちろん止めようとするのですが、溜めていた睡眠薬を大量に飲んで救急車で運ばれることもありました。本当は入院したほうがよいのですが、先生に勧められても本人が嫌がるので結局、家で薬を飲みながら治療をしていました。

 

── 家事なども難しい状態だったのでしょうか?

 

西田さん:本人はやらなくては思うようなのですが、にんじんを切ったり、洗濯物を干したりしている途中で心が折れてしまい、最後まで気力が続かないようなんです。私も当時は中学生だったため理解がたりず、母に「頑張って」など言っていましたが、今思えばそのような状態の人にかける言葉としては間違いでしたね。母を救う方法がわからず、私も苦しかったです。

眠るのが朝になり学校に行けない日々

西田美歩
モデルやタレントなど芸能活動をこなす日々

── 家事などは西田さんがやっていたのですか?

 

西田さん:ご飯は父が作ってくれていましたが、きゅうりが入ったカレーが出てくることも(笑)。慣れないなりに父は頑張ってくれていたのですが、やはりストレスがすごかったようで脳出血で倒れてしまいました。     

 

家事は私もやっていましたが、中学卒業後は中学のときに応募して自分から始めたアイドルなど芸能の仕事で、地方や海外に行くことが増えたんです。それで数日家を空けて帰ってくると、なかなか悲惨なことになっていて…。母もやらなきゃという気持ちはあるので、食材を買ってきて途中までは調理をするのですが、そこで止めてしまう…。そのような状態が数日続くので、帰宅するころにはキッチンに虫がわくようなすごい状態になっているんです。もちろん洗濯物も溜まっていて、それを仕事が忙しくなかなか家事に手が回らない父と一緒に片づけるというのがルーティンでしたね。

 

── 学校には通えていましたか?

 

西田さん:それがなかなか行くことができなくて。母が夜中に帰ってきて暴れるので、眠れないんです。「死にたい」と言っている母を父が止めている日もあれば、お酒を探して暴れている母を私が落ち着かせることも。父に任せた日でもそのような状況で寝ることはなかなかできないし、朝から仕事がある父だけに任せるわけにもいかないですよね。そうすると寝るのが朝、起きたら昼という生活になってしまい、中学には給食から行くという日もありました。このころから仕事でホテルに泊まることがあったのですが、ホテルのほうが眠れるので仕事をしているほうが健康によかったですね。

 

── 学校の先生にはなにも言われなかったのでしょうか?

 

西田さん:中学生のころから芸能活動をしていたので、遅刻・早退や欠席をすることがありました。なので、先生は芸能活動で遅刻などをしていると思っていたのかもしれません。家のことは先生にも友だちにも言えませんでした。特に同世代の友人と家のことを話すのは、中学生という多感な時期には考えられませんでした。

 

学校にはカウンセラールームがあって、よく通いました。カウンセラーの先生に相談はしませんでしたが、先生も無理には聞き出そうとせず見守ってくれたので、居心地がよかったんです。