リングで拳を振って戦った友が脳幹出血で逝ったつらい思い出がある蝶野正洋さん。人が倒れたときに救急車到着までの空白の時間をAEDでつなぎ止める。他人事ではない命の重み。救命救急の講習を受け、協会も立ち上げた蝶野さんが防災活動にも積極的に取り組むいまを追います。(全4回中の2回)
戦友たちの死がきっかけで救急救命を学ぶことに
── 近年は、AED救急救命の啓蒙活動や、地域防災などの社会貢献にも力を注いでいらっしゃいます。取り組みを始めたきっかけを教えてください。
蝶野さん:「救急救命の啓蒙活動」に取り組み始めたのは、新日本プロレスの同期だった橋本真也選手や「プロレスリング・ノア」の三沢(光晴)社長が亡くなったことが原点になっています。橋本選手は病気で、三沢社長はリング上の事故で亡くなられたのですが、2人の死によって、いろいろと考えされられました。
── 詳しく伺えますか?
蝶野さん:2000年代からプロレス業界がいろいろと分裂し、新日本プロレス時代の仲間だった橋本選手や武藤(敬司)さん、ノアの三沢光晴社長も、オーナー兼トップレスラーとして団体を設立して活動していました。だいたいキャリア20年くらいの選手になると、みんな過去に大きなケガを経験していて、古傷を抱えながら試合に臨んでいることが多いんですね。
本来、選手としてのクオリティをキープするには、ケガをしたらまずは治療をして、しっかり休息をとって体をリセットしないといけません。でも、オーナー兼トップレスラーとなると、なかなかそうは言っていられない。自分が看板を兼ねている以上、メインイベントを張らなくてはいけないし、お客さんもそれを期待して観にきてくれます。だから、休息を削ってでもムリやりリングに上がってしまうんですね。
そんな状態だから、さらにケガをしやすくなる。自分も新日本プロレスの現場責任者としてトップを張っていたので、同じような感じでした。当時のプロレス団体は、どこも経営が厳しかったから、社長が休んでいられない事情もありました。
── ケガが癒えないまま、リングに上がることで、さらなるケガにつながってしまうと。
蝶野さん: 悪循環ですよね。橋本選手とは、彼が亡くなる1か月前に一緒に食事をしたのですが、当時は体調が悪く、心臓のカテーテル手術を受ける予定だったらしいんです。でも、手術の1週間ぐらい前に、脳幹出血で亡くなってしまって…。あれほどショックなことはなかったです。
── みんなに愛された選手でしたよね。昔、取材をさせていただいたことがあるのですが、当日、橋本選手が1時間半遅刻されて。何かあったのかと心配していたら、「途中で腹が減っちゃって牛丼食ってたんだよ。悪いね」とニコニコしながら現れて…。あの無邪気な笑顔は忘れられないです。
蝶野さん:彼らしいですね(笑)。2005年に橋本選手が亡くなってすごくショックを受けていたら、今度は2009年に三沢社長がリング上の事故で亡くなったと聞いて。「ああ、完全に長年の過労が蓄積されていたのだろうな」と震えるような思いでした。そこから、ずっと2人のことが頭にあり「自分になにができるだろうか?」と考えるようになりました。
競技者が倒れたとき、数急車が到着するまでの空白の時間が生命を大きく左右します。アスリートとして応急手当を知っておくべきだと考え、2010年に東京消防庁の普通救命講習を受けたんです。その後、東京消防庁から、「2020年の東京オリンピックの招へいに向けてAEDの普及活動をするので手伝ってほしい」と声がかかり、活動のお手伝いをするようになりました。