100から0になるような経験を何度も

── 現地での育児はいかがでしたか?

 

鈴木さん:妊娠を機に旅行の仕事は退職したのですが、妊娠中に中華レストランを経営していたチャイニーズのご夫婦から「日本食レストランをやりたいから、協力してくれない?」と言われたんです。武蔵が産まれたあとはお手伝いさんに見てもらいながら開店準備をして、武蔵が1歳になるころからは共同経営者として鉄板焼きレストランを始めました。母乳は出るときに絞って冷凍しておいて、武蔵の著書にも出てくるヘーゼルというお手伝いさんに育児を任せっぱなしで、夜までずっと働いていました。当時のジャマイカでは、電化製品は本当のお金持ちの家にしかなくて、わが家にも洗濯機がなかったんです。紙おむつは輸入品で高いので、武蔵のおむつは布おむつでした。洗濯は共同洗濯場でしなければならず、私に時間がないときはすべてお手伝いさんが武蔵のおむつを洗濯してくれて。たまの休日には川へ洗濯に行くこともありました(笑)。

 

忙しくて武蔵ともゆっくり過ごせなかったし、100から0に落ちるような出来事もたくさんあったのですが、ジャマイカにいると心がオープンになって本能のままに生きられるんです。ジャマイカでは、夫と妻というよりも、結婚せずにベイビーファザー・ベイビーマザーとして生活することのほうが主流で。私も、武蔵の父親とも、のちに産まれた次男の父親とも、結婚していません。でも、日本だと結婚せずに1人で子どもを産んだり育てたりすることってなんとなくタブーのようなところがあったりもするじゃないですか?私は成人式にも参加していなくて、儀式や伝統的なものにとらわれたくないという意識が若いころは強かったので、「こういう形でも私は生きられるのよ」と示したい思いもあって、日々を楽しんでいました。

 

幼少期の鈴木武蔵、母・真理子と父
武蔵さんの父と幼い武蔵さんと真理子さん

──「100から0に落ちるような出来事」についても聞かせてください。

 

鈴木さん:武蔵の父親と仲良くしたかったのですが、うまくいかなくて妊娠6か月ごろからケンカが絶えなくなって。この先どうすればいいのかなと考えて、毎日のようにベランダでひとり泣いたこともあったし、コカイン中毒の女性と揉めて裁判沙汰になったこともありました。

 

私は現地の作家さんの絵などを売るアート&クラフトショップも経営していたのですが、隣のテナントの女性がコカイン中毒で記憶がおかしくなっていて、私が買った絵を自分のものだと言い張って取り合いになったんです。身長が180センチぐらいあって力もすごく強い女性だったから、手をひねられて捻挫して、絵を持って行かれてしまって。警察が解決してくれなかったので、裁判で絵を取り戻そうと、私が買ったことを証明してくれる作家さんを連れて裁判所へ行ったんです。でも、私たちの番になっても加害女性は現れず、裁判も白紙に。最終的にはテナントのオーナーさんが取り次いでくれて絵は取り戻せたのですが、似たような事件がほかにも2、3件はありました。そういう出来事が起きたときは0になっちゃうし、ジャマイカ人がすごく憎たらしくなるのですが、お世話を焼いてくれる人もいて、結局は憎めない。なんか惹かれてしまう。そんな国でしたね。