サッカー元日本代表、鈴木武蔵さんの母・真理子さんは、28歳のときに単身でジャマイカへ渡り、現地で出会った男性との間に武蔵さんが産まれました。異国での生活は「100から0に落ちるような出来事がたくさんあった」と振り返ります。(全3回中の1回)

スーツケースを2つ持って単身ジャマイカに

── まずは、ジャマイカに行くことになったきっかけを教えていただけますか?

 

鈴木さん:昔から旅行が大好きだったので、大学卒業後は旅行代理店に就職して、店長をしていたんです。仕事が休みだった2月にニューヨークへ遊びに行ったのですが、寒波が来ていてまるでスキー場にいるかのように寒くて。どこか暖かいところに行きたいなと思って、現地の旅行代理店に駆け込んで「ニューヨークからいちばん近くて、安いチケットで今から行ける暖かい国はどこですか?」と聞いたら「バハマ!」と言われたんです。「じゃあバハマに行きまーす!」という感じで、急きょチケットを買って行くことにしました。バハマは暖かくてビーチもあって最高だったのですが、日本人がまったくいなくて。「これからのディスティネーションはカリブ海だ!これはハネムーナーにちょうどいいかも!」と仕事のヒントも得たような感じで、日本に帰ってきました。

 

帰国した翌日、会社で業界誌を見ていたら、たまたまある旅行会社が「ジャマイカ要員募集」と広告を出していたんです。バハマとは違うだろうけれど、カリブ海だし、黒人の国だからきっと似たような感じなのかなと思うと、すぐに「行きたい!」という気持ちになって。ビジネスで英語を使う自信はなかったのですが、何度か面接を受けて採用してもらいました。2月にニューヨークとバハマへ行って、3月には転職が決まって、4月には住んでいた東京のアパートを引き払って、スーツケースを2個持ってジャマイカに行きましたね(笑)。

 

── ジャマイカに1度も行ったことがない中で転職と移住をなさったんですね!

 

鈴木さん:はい。本当に予備知識なく行っちゃいました。その会社の社長が、レゲエ好きのお客さんを連れて年に1度、ジャマイカで開かれるレゲエの大きなコンサートを見に行くというツアーをしていたんです。社長がレゲエ好きのお客さん以外のニーズも拡大しようと思っているところだったので、採用された私が現地へ派遣されることになったというわけです。

 

もともとUKロックが好きだったので、当時は「レゲエって何?」みたいな状態だったのですが、社長にいただいたテープを何度も何度も聴いていくなかで「あー、こういうのがレゲエなんだ」と日本を発つまでの間に知って。現地に行ってから、どんどん好きになりました。英語も、大学時代に文献を読むときに触れていた程度。会話力は全然なくて、NHKのラジオ講座で勉強していたぐらいだったんです。ジャマイカへ行ってからもラジオテープを聴きながら勉強していたのですが、やっぱり電話だと商談内容が聞き取れなくて。いつも相手のところへわざわざ行って、何度も聴き返したり思いを伝えたりしていたので、商談相手にはすごく面倒くさがられていたと思います(笑)。

 

鈴木武蔵の母・真理子
ジャマイカで働いていたころの真理子さん

── そんなふうにお仕事を積み重ねていくなかで、武蔵さんのお父さんとの出会いが。

 

鈴木さん:そうですね。28歳のときにジャマイカに行って、その旅行会社の現地法人を自分で作って、日本の会社が営業をかけてジャマイカに呼んだお客さんを私が迎えに行ったり、旅の説明をしたり、オプショナルツアーを売ったりしていたんです。5年間ぐらい働いていたときに、バスを所有していて運転手を務めていた男性と仲良くなり、武蔵を妊娠しました。実は妊娠する年の初めに、婦人科系の検査を受けていて。イギリス人の女性医師から「あなたの子宮は成熟していない。妊娠するのはすごく時間がかかる」と言われたので、30歳を過ぎて異国で仕事をしていた私は、もしかして子どもを産むことはできないのかなとショックを受けていたんです。だから、武蔵を妊娠したときは「なーんだ。先生あんなこと言っていたけど、妊娠できたじゃん!」と思いました(笑)。