帰国の途につく飛行機で涙が溢れて
── 武蔵さんが6歳のころ、11年間過ごしたジャマイカを離れることになりました。帰国を決意したのはどのような理由からだったのでしょうか?
鈴木さん:教育は日本で受けさせたほうがいいなと思ったことがいちばんの理由です。現地の公立小学校は地区に1校か2校だけで、学校には広場があるだけ。遊具もボールもなくて、子どもたちは走ること以外に何もしていなかったんです。だから、公立には行かせず私立のプライベートスクールに行かせたのですが、私立もやっぱり設備が整っていなくて。休み時間も、牛乳パックをクシャっとしたものをボール代わりに、サッカーをしていたんですよ。教育について考えたときに、どうしても日本の環境にはかなわないなと思ったので、ジャマイカを離れる決断をしました。
── 武蔵さんの著書では、日本に戻る機内で「お母さんがこっそり泣いていた」と書かれていました。
鈴木さん:そうですね。武蔵は「どうして泣いてるの?日本に行くの、楽しいじゃん!」みたいな感じだったんです。でも、28歳のときにひとりでジャマイカに来て、いろいろなビジネスを重ねて会社を設立して、武蔵の父親と次男の父親と出会って子どもを産んで…と人生の中で凝縮された11年間だったので、外の景色を眺めているうちに「ここへはまた来るかもしれないけど、もう住むことはないんだ」と思うと、涙がポロポロと出てきて。今まで修行させてくれてありがとうという気持ちと、これからは日本で生きていくんだという決意で泣いていました。
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帰国後、群馬県にある私の実家で暮らし始めますが、黒人とのハーフがいなかったこともあり、息子は肌の色をやゆされて思い悩んだ時期があったようです。
PROFILE 鈴木真理子さん
すずき・まりこ。埼玉大学を卒業後、国内の旅行代理店を経てジャマイカ専門旅行代理店の現地法人で勤務した。長男(サッカー・鈴木武蔵選手)、次男を出産後に帰国。地元・群馬県太田市で英語塾「地球塾イングリッシュスクール」を経営するなどしながら兄弟を育て、現在も現役で講師を務めている。
取材・文/長田莉沙 写真提供/鈴木真理子