コロナ禍で助産師として勤務

── 大学院を卒業後はどうされたんですか。

 

徳澤さん:3年弱、看護師・助産師として総合病院に勤務しました。産科特有の、生命の危機の場面にも直面しますし、幸せなことばかりだけではなく悲しいこともたくさん起きます。さらにコロナ禍という非常事態のなかで勤務させてもらったことは刺激になりました。誰もが逃げ出したいような状況だったにも関わらず、医療従事者として自分の使命を守り、患者さんのために働く同僚の姿勢を心から尊敬できましたし、その環境に身を置いた経験は仕事のやりがいにも繋がりました。

 

学生時代の徳澤直子さん
「授業終わりでのひとコマ」赤ちゃんの人形を抱えた学生時代の徳澤直子さん

── コロナ禍で、出産は立会禁止、入院中も面会禁止などになりました。妊産婦さんに接する立場としていかがでしたか。

 

徳澤さん:特に初めての出産の方は不安な様子の方が多かったです。出産前までは、なんとか気持ちを保って、前向きにいられた方も産後はやっぱり気持ちが落ち込んで。相談できる家族もいないなか、助産師がとても頼りにされていることも感じていました。夜勤のとき、産婦さんのお部屋をたずねると、多い方は1時間に1回の授乳の方もいて、みなさん泣きながら、目の下にクマを作って授乳されているんです。

 

妊娠経過や出産の振り返りをバースレビューというのですが、慌ただしくお産が過ぎてしまうなか、「あのときのあれはなんだったんだろう」という疑問やモヤモヤを抱えたまま、納得がいかない形で退院してほしくないと思っていたので、夜勤のときにお部屋で「気になることはないですか」と伺うようにしていました。妊娠、出産は人生のなかでも大きなイベントであるにも関わらず、渦中にいると何が起きているのかわからない状態で出産を迎える方もいます。あとから一緒に、丁寧に振り返るという作業の大切さも感じていました。コロナ禍だったこともあり、みなさんにできるだけ元気に明るい気持ちで退院してもらえるよう心がけていました。

 

── 産後はメンタルも不安定になる方が多いと言われています。

 

徳澤さん:ホルモンバランスの影響で、産後は鬱々とされる方が多いです。どうしても助産師という立場上、アドバイスをしてあげたくなる気持ちもあるのですが、それよりも話を聞いてほしいというニーズの方が多いと感じていました。とにかく、妊産婦さんからの言葉を受け止めるところに徹するようにしていました。

 

── モデル時代を知る方も多いと思いますが、仕事のやりにくさはなかったですか。

 

徳澤さん:ありました(笑)。ちょうどご出産を迎える方の年齢が、私のモデル時代の誌面をご覧いただいていた世代なんです。知っている人が点滴などをするのは嫌かもしれないと思ったので、「担当を変えることもできますし、私ではなく他の方に言っていただいても大丈夫ですよ」といちおう確認はさせてもらっていました。「雑誌、見てました!」とポジティブに喜んでくださる方も多かったので、どんな経験も必ず役に立つんだとも感じながら勤務していました。

 

PROFILE 徳澤直子さん

とくざわ・なおこ。ファッション誌『Cancam』専属モデルを卒業後、第1子をアメリカ合衆国ミネソタ州にて出産。 帰国後、育児と並行して大学受験に挑戦。聖路加国際大学を卒業し看護師資格取得、その後同大学院にて修士号及び助産師資格を取得。 大学院在学中に第2子を出産。総合病院にて約3年看護師・助産師として勤務し臨床を経験。今後はモデル、大学院及び臨床、そして育児で得た経験を活かし、マルチな活動を予定している。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/徳澤直子