ファッション誌のモデルから、九州朝日放送のアナウンサーを経て現在はフリーランスのアナウンサーとして活躍する宮島咲良さん。朗読劇から競馬中継まで、自分のやりたいことを軸に精力的にお仕事をされている宮島さん。そんな宮島さんを支えた言葉とは──。(全4回中の3回)
このままモデルをしても大成しないかも
── 宮島さんは、アナウンサーをされる前はファッション誌のモデルをされていました。モデルからアナウンサーになったきかっけはなんでしょうか?
宮島さん:高校生のときに、原宿でスカウトをされてモデルの仕事を始めました。モデルの仕事は楽しく、大学生まで続けました。でも、将来を考えたときに「モデルとしてどうなりたいか、はっきりした目標もない。このままモデルを続けても大成しないな」と感じたんです。
── 大学生で、自分の将来を客観的に考えるのがすごいです…。
宮島さん:モデルのお仕事をしていた雑誌の中で、自分の好きなアーティストのCDを紹介したところ評判がよく、何より楽しくて。インディーズシーンで頑張るアーティストさんを自分の言葉でもっと世の中に広めたいという気持ちがありました。自分の好きなものを自分の言葉で紹介することにやりがいを感じていたんです。
── そのころから伝える仕事に興味があったんですね。
宮島さん:はい。ラジオも大好きで、中学生のころはBAYFMの音楽番組を毎日欠かさず聴いていました。当時はFAXでおたよりも送っていて。番組内でも結構、読まれていたんです。
しゃべる仕事がしたいと思っていたときに、ちょうど大学の同級生が地方局のアナウンサーに内定したと聞きました。「自分の言葉で伝える仕事ができる!自分がやりたかった仕事はこれかも知れない。やってみたい!」と、大学4年の時にキー局のアナウンサー試験を受けに行きました。実はそのとき初めてアナウンサーが会社員で、試験を受けてテレビ局に入社することを知りました(笑)。
── 一般的には、念入りな対策をしてアナウンサー試験を受けられるイメージがあります。
宮島さん:そうですよね。私は何も知らずに面接で初めてアナウンス原稿を読みました。みなさん、アナウンサーの学校に通ったり対策をされていたので、何も対策をしていない私は逆におもしろいと思われたみたいです。いくつかの局で最終面接までいきました。でも、最終的に内定はもらえませんでした。
── アナウンサーになることをいったんあきらめたのでしょうか?
宮島さん:逆です。アナウンサー試験を受けたことで、アナウンサーになってしゃべる仕事がしたいという気持ちが高まって。私は通常より1年遅く大学4年生で就活を始めたのでそのまま卒業し、また一年後に挑戦しようと決めました。