インフルエンザでライブ中止…休んで気づいたこと
── 年齢を重ねるとものの見方も変化します。最近、ご自身が変化したと感じたできごとはありますか?
鈴木さん: 2024年、年明けすぐに東京タワーでのライブの予定が入っていたのですが、かなり重めのインフルエンザのため病欠しました。過去にほかの人の病欠を、何度も代役として埋めてきた自分が、ついにそちらの状況になってしまいました。ライブの日を目指して来てくれるファンの方をはじめ、すべてのスタッフ、ミュージシャンとともに、ずいぶん前から準備を進めてきたのに、皆に迷惑がかかり…。数日前まで元気にリハーサルの様子などをSNSに載せていたのに、「もうなんでー!!」って、あのときは本当に、自分のふがいなさに涙が出ましたよ。
── いくつもの舞台で主演の代役を務めた経験があるいっぽうで、初めての仕事病欠はショックだったでしょうね。
鈴木さん:本当に落ち込みました。どうにかならないものか、と考えましたが、急な高熱でリンパが腫れ、全身も痛いし、起き上がることさえままならなくなってしまったので、どうすることもできませんでした。
── それはつらかったでしょうね。周囲はどんな声をかけてくれましたか?
鈴木さん:ライブ前後には、ライブ以外の仕事も入っていたので、具合は悪くとも各所に謝罪の連絡を入れ、振替公演のスケジュールをいちから構築し直すなど、やることがいっぱいで頭の中はてんやわんやでした。でも、そのすべてがベッドの中でできたので、時代の変遷を感じました。
コロナ禍の直後だったこともあるようで、病欠に関しては皆さん非常に寛容に接してくださり、かけられるいたわりの言葉が本当に心にしみました。チケットの払い戻しなど、余計な作業が増えたり、地方から来る予定だったファンの方はいろんな予定をキャンセルしたりと、皆だって大変なのに…。とにかく、申し訳なさでいっぱいでしたが、友人からは「当日キャンセルじゃなくてよかったよね」と言われ、たしかにそのとおりだと思いました。
── 周囲の優しさが身にしみる経験でしたね。鈴木さんは、本当に落ち込んだときはどうするのでしょうか?
鈴木さん: 振り返ると、どんなときもそのつど、話を聞いてくれたり、寄り添ってくれる人がいました。落ち込んだとき、自分でももがくけれど、結局のところ、優しい人たちに助けられています。世の中は嘘も多いけど、なかには本物も存在する。50歳を目前にしてそんなことを感じています。
私も私を支えてくれた人たちのようにもっとやさしく強く、そして寛容な人になれるように、そこは頑張らないといけません(笑)。20歳のころ、デビュー曲『泣かないぞェ』(作詞:鈴木蘭々・森園真)では♪世の中すべてみんな全部ウソツキ♪という歌詞を書いたけれど、「だけでもないぞェ」って、どっかにつけたそうかな(笑)。そんな感じの現在です。人生は、いろんなできごとを通して、さまざまな事柄を私に教えてくれています。
PROFILE 鈴木蘭々さん
すずき・らんらん。1989年、資生堂CMでデビュー。1994年に『ポンキッキーズ』で安室奈美恵とのユニット「シスターラビッツ」でブレーク。歌手、モデルなど幅広く活躍し、2年連続CM女王に輝く。2013年に化粧品会社WOORELLを起業。2023年に、芸能生活35周年記念のベスト盤『鈴木蘭々 All Time Best~Yesterday&Today~』をリリース。
取材・文/岡本聡子 写真提供/鈴木蘭々、WOORELL 株式会社