『クレヨンしんちゃん』で2代目野原しんのすけ役をつとめる声優の小林由美子さん。少年漫画がきっかけで小学4年生から抱いていた声優の夢を叶えるべく、中学時代はまさかの3年間を過ごします。(全2回中の2回)

「声優になる。悟空になる」

── いつごろから声優になりたいと思っていましたか。

 

小林さん:8歳上の兄の影響で、少年漫画をよく読んでいました。漫画から読んでハマった『ドラゴンボール』のアニメを夢中になって見ていたのですが、そのころは声優という職業を知らなくて、アニメのキャラクターが声を出しているんだろうと思っていました。

 

小林由美子さんとお子さん
プライベートではふたりのお子さんの母でもある小林由美子さん

あるとき友達が、アニメ雑誌に載っていた野沢雅子さんの記事を見せてくれたんです。「小林、この人が悟空の声をやってるんだって」「えっ、人!?人がやってるの!しかも女の人!?」と、衝撃を受けたのが小学校4年生のときでした。そこから声優に興味を持って、図書館で声優になるための本を片っ端から借りて読み、将来は声優になりたいと思うようになりました。

 

── 小学4年生からの夢を叶えたんですね。どんな努力をされてきましたか。

 

小林さん:「野沢雅子さんのように少年の声が得意な声優さんになる。なんならもう悟空さんになる!」くらいの勢いでした。今ほど声優という職業がメジャーではなかったので、周りからは「なに言ってんの」という目で見られていたと思います。

 

自分なりに調べた結果、声優にとって大事なことは芝居だと思い、中学では演劇部に入ろうと思っていたんです。でも残念ながら演劇部がなくて。何か自分を表現する部活はないかと探していたときに器械体操部の人のゆか演技を見て、「これは表現力を磨くのにいい!」と思い即入部しました。それと、バク転、バク中する姿を見て、「めっちゃかっこいい!これが出来たら悟空さんになれる!」と思ったのが動機の半分です(笑)。

 

そこから3年間、ひたすらバク転、バク中をするためだけに時間を費やしました。本当は他にもさまざまな競技があるので、かなり戦力にならないやつだったと思います。でもその甲斐あってバク転、バク中はできるようになりました。そのあと、高校では演劇部に所属して見事にハマりました。本来、3年生は夏ごろに引退するのですが、翌年の2月まで居座り続けて、お局中のお局に。よくも悪くもハマったら猪突猛進なところがあるので、これと思ったらまっすぐ突き進んできました。

 

── 高校卒業後の進路は、声優になることを見据えて決めたのですか。

 

小林さん:高校を卒業したら声優の専門学校に行きたかったのですが、親からも先生からも反対されました。先生からは「声優なんていうのは夢物語。アニメはもう趣味でいいだろう」と言われて。半ば説得された形で大学に行くことを決めたのですが、内心は「絶対、声優になってやるぞ」と思っていました。

 

大学受験と並行しながら、先生や親には内緒で、声優事務所の特待生オーディションを受けまくっていました。授業料が自分では払えないと思ったので、授業料免除の特待生になるしかないと思ったんです。高校3年生の夏に、「声優サマーオーディション」という声優希望の子たちのための特待生オーディション合宿に参加し、そこでミューラスという事務所の特待生としてデビューさせていただくことになりました。大学にも無事合格し、学生生活を送りながら声優の仕事をさせていただくことになりました。