「なんぼでもおかわりしてや」の言葉に泣いて
── 体調にも影響が…。しかし、その後、転機になったことがあったそうですね。
なだぎさん:引きこもっているときにたくさん映画を観ていましたが、「寅さん」の映画が好きだったんです。寅さんって愛嬌があって周りの人に愛されて、どうしようもないところもあるけれど、暖かい人だから周りに人が集まってくるんですよね。僕も寅さんにはなれなくても少しでも近づきたい。自分にも何かできることがあるんじゃないかって思ったときにひとり旅に興味を持ち、さらに大林宣彦監督の尾道三部作の映画も観たことから、広島の尾道に行ってみようって思ったんです。
── 3年間家で引きこもっていた状態から、かなりの勇気だったのかと思います。
なだぎさん:初めてのひとり旅でしたし、SNSもない時代だったので道を聞くのもひと苦労でした。ただ、この旅でとてもいい出会いがあったんです。尾道で、食あたりになりベンチでグッタリしていたら、ある女性が救急車を呼んでつき添ってくれて。その後「うちに来なさい」と言われて行った先が旅館で、女性はそこの女将さんでした。その晩は部屋を用意してくれて、おかゆも作ってくれて、さらに暖かい布団まで用意して泊めてくださったんです。
親以外にここまでしてもらったことはなかったし、さすがにこのままでは帰れないと思って、翌朝「雑用でもなんでもいいから働かせてくれませんか?」って聞いたら「わかった」って。10代だし、お父さん、お母さん心配してるよって言われるかと思ったけど、「わかった」って言ってくれた。子どもが頑張って伝えたことを受け入れてくれた喜びを感じたし、人のために何かしたいって思った瞬間でしたね。
その日は1日働かせてもらって、夜に旅館の大将が作った食事まで出してくれましたが、それがまたおいしくて。僕は小学3年生くらいから、自分の部屋でテレビを見ながらひとりで食べていたんです。そのころから周りの環境と違う部分はあったと思うんですけど。大将が作ってくれた料理を食べていたら、人と食べるってこんなにおいしいんや、楽しいんやって感じてきて、今までいじめられてつらかったことも、自分が未熟だったことも全部思い出して涙が出てきて…気づいたら号泣してたんです。でも大将は涙の理由を聞くわけでもなく、「俺が作った料理がそんなにうまいんか。なんぼでもおかわりしてや」って言ってくれて、うれしくて泣きながらおかわりしたのは覚えています。
── 3日間の旅行から戻ってくると、日常は変化しましたか?
なだぎさん:そこから1年くらいは家にいましたが、同級生が高校を卒業するタイミングで、たまたま、うめだ花月を歩いていたらNSC(吉本総合芸能学院)の入学案内のフリーペーパーを見ました。「自分も変われるかもしれない」と思って願書を提出。その後、お笑いの世界に足を踏み入れると、一気に世界が広がりました。今は芸人としてお仕事をさせていただいていますが、広島での出会いがなかったら、今はまた全然違う人生を歩んでいたかもしれません。
PROFILE なだぎ武さん
なだぎ・たけし。1970年生まれ、大阪府出身。お笑いタレント、漫談家、俳優としても活躍。R-1グランプリで2007、2008王者。
取材・文/松永怜 写真提供/なだぎ武