『君をのせて』や『となりのトトロ』など、ジブリ映画に欠かせない名曲を歌う歌手・井上あずみさん。アイドルを目指して上京するも鳴かず飛ばずだった下積み時代を経て、名曲との運命の出合いを果たします。(全4回中の1回)
アイドルの登竜門「スター誕生!」で玉砕し
──『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』など、名作スタジオジブリ映画で作品とともに誰もが井上さんの歌声に魅了されてきました。井上さんが歌手になったきっかけを教えてください。
井上さん:小さいころから歌が好きでした。2~3歳のとき、バス停でバスを待つ間に歌を歌うと、そこにいたおじいちゃんおばあちゃんから拍手をもらったことが原点だと思います。歌うとみんなが笑顔になって喜んでくれるのがうれしくて「歌手になりたいな」と思いました。
地元・金沢に乙田修三先生という有名な先生がいらして、小学校5年生くらいから週に1回、放課後に歌を習いに行きました。そこからお祭りとか、のど自慢大会みたいなイベントにもたくさん出て、そのたびに賞をいただいたりするようになったんです。
── アイドルの登竜門『スター誕生!』にも出場されたそうですね。
井上さん:はい。実は『スター誕生』に2回出ました。1回目は小学校6年生のとき。当時、岩崎宏美さんが大好きで大好きで、岩崎さんの曲で出場したら「そっくりすぎる」と。「君はすごく歌がうまいんだけど岩崎宏美はもういるから、同じことができても君の場所はないんだよ」と言われました。でも才能があるから別の曲を歌ってまた挑戦してみたらと言うので、14歳で再挑戦したんです。それで決勝大会へ。でも、スカウトマンからプラカードが上がらず、歌手にはなれなかったんです。決勝前に後楽園ホールで一度リハーサルがあって、レコード会社の人と少しお話ししたこともあったので「脈ありなのかな?」と受かる気でいましたけど、世の中そんなに簡単にはいきませんでしたね(笑)。
── それでも高校卒業後の83年に歌手デビューが決まりましたね。あきらめずに夢を追い続けてつかんだチャンスだったのでしょうか。
井上さん:16歳〜17歳に井上あずみとしてデビューする前に加賀千代子として活動していた時期があって、松田聖子さんやあみんさんの歌を人前で歌っていました。それでもなかなかメジャーデビューするまでには至らず、ずっと下積みでした。そんなとき、あるレコード会社を立ち上げるにあたり、アイドルを出したいという話があり。その歌手第1弾としてデビューをすることになったんです。1億円くらいかけた大きなプロジェクトでした。「歌がうまい人を探している」と人づてに連絡が来て、抜擢してもらい。「井上杏美」という名前でデビューすることになりました。
念願の歌手デビューで華やかな生活が待っているかと思いきや…最初の2年間こそ契約でお給料は出ていましたが、その後は鳴かず飛ばずでバイト生活。喫茶店でランチのアルバイトに励む日々でしたね。
ジブリ映画の曲『君をのせて』との運命的な出合い
── ご苦労された時代を経て、そこからどう『天空の城ラピュタ』の主題歌『君をのせて』と出合ったのか。そのプロセスが気になります。どのような経緯でお話が来たのですか?
井上さん:業界関係のお食事会に行ったとき、プロデューサーの方がいらしていて「今アニメのサントラに入る曲で歌う子を探していて、オーディションしてるんだよ」とおっしゃったんです。「私、歌手なので参加していいですか?」と後日、自分の声を入れたカセットテープを持参して聴いてもらいました。
先方は曲にマッチした声質を選ぶ審査をしていたところでした。そこにいた久石譲さんが「あなたが本当に歌えるか、試しにデモテープのレコーディングをしましょう」と言ってくださったんです。そこからトントン拍子に話が進んで「(私の)この声がいい」と、選んでいただき、話が決まりました。映画は8月公開なのに、レコーディングは7月の頭と、かなりタイトなスケジュールでした。作品はまだ観ていない状態でしたけど、曲だけ聴いて「いい曲だなぁ、これは絶対歌いたいなぁ」と思いましたね。やっと自分が歌いたい曲に巡り合えたなという思いでした。
宮崎駿監督と音楽監督をしていた高畑勲さんにはレコーディングスタジオで初めてお会いしました。「どんなふうに歌えばいいですか?」と聞いたら、「あなたの声そのままで大丈夫なんで」と言われてすごく安心した記憶があります。
試写会で映画を観て、映画の最後のほうにようやく自分の声が流れてきたとき、大きなスクリーンの前で感激しました。すごくうれしかったです。それまでいろいろ挫折してきたので「チャンスをようやく自分のものにできたな」と、この瞬間に実感しました。実は、それまで事前に「こういうことをやるんだ」と誰かに話すとうまくいかないことが多かったので、このときは誰にも言わなかったんですよ。そういうジンクスも効いたのかな(笑)。
『さんぽ』をまさか自分で歌うことになるとは
── そして、ジブリ映画の主題歌『となりのトトロ』や『さんぽ』を歌うことにもなりましたね。
井上さん:ラピュタが終わった後に、レコード会社の方から新しい次の作品はふわふわとしたトトロというキャラクターが出てくるアニメなんだよって教えていただきました。「そうなんですね!今度は最初からまた何か関われたらうれしいです」というと「吉祥寺で制作しているからあいさつしに行く?」となって、ジブリのスタジオの一階にある喫茶店でご挨拶する運びに。『君をのせて』のレコーディングのときはゆっくり話せなかったのですが、宮崎駿監督が絵コンテを見せてくださって、「この話には、姉妹がいて心のきれいな人しか見えないもののけが出てくる。それがトトロなんだ」と。そこで初めて監督といろいろとお話ししました。そんな流れで『となりのトトロ』を歌うことが決まったんです。
『さんぽ』は当初、杉並児童合唱団が歌うと決まっていたので、まさか自分が歌うことになるとは思いませんでした。当時も私は相変わらず喫茶店でアルバイト生活中で、連絡が来て「曲に歌詞を入れる前の段階だけど、女性の声で「ららら~♪」でいいから声入れのお手伝いしてくれない?」と頼まれたんです。「声が入っていたほうが歌詞も入れやすいから」と言われて、お手伝いすることになりました。歌詞が入り続いて「子どものお手本用に元気よく歌ってくれる?」と言われて、私も合唱団出身なので当時を思い出しながら歌いました。それがよかったみたいで。最終的にそれがそのまま映画やCDで使われることになったんです。
一つひとつがなんでもチャンスにつながることを、身をもって体験しました。娘(歌手の今尾侑夕さん)にも言うんですけど、どんなチャンスがあるかわからないんだから、何事もおざなりにしてはいけないって。全力でやらないとだめと。
── ご縁とチャンスを見逃さずに成功へと進まれ、映画『魔女の宅急便』公開後に発売されたヴォーカルアルバムでも5曲担当されたそうですね。
井上さん:はい、これまた喫茶店でアルバイトしているときに、久石さんから電話が来て「『魔女の宅急便』っていう映画観た?観てないならちょっと観てきて!」と。話を聞くと、「映画で流れているメロディに合わせて女性が作詞して女性が歌うアルバムを出すから参加する?」と。二つ返事で「やらせてください!」と言いました。ここでもご縁が繋がり、どんなことも一生懸命にやるって本当に大事だなって思いましたね。