亡くなる10日前まで弁当も作り

ダンカン家族
左から甲子園さん、初美さん、ダンカンさん、虎太郎さん

── 脳に転移してから意識はハッキリされていましたか?

 

ダンカンさん:普通にハッキリしてましたね。最後はソファーで休んでいることが多かったけど、入院することもなかったし。治療はつらくて何度か辞めたいって言っていたけど、子どもたちのために頑張ろうって言ってね。あと、これからさらに弱ってきたら車椅子になる可能性も考えて、2人で思い出の居酒屋とか植物園とかいろいろなところに行って写真を撮りました。家でもいつも通りだったし。

 

── 亡くなる10日前まで息子さんのお弁当も作っていたそうですね。

 

ダンカンさん:そうそう。でもある日、あまりにも調子が悪そうだったから「いいよ、座ってなよ」って。俺はほとんど料理をしたことはなかったけど、見よう見まねでどうにか卵焼きを作ってみたんです。「これを弁当に持たせるよ」って言ったら「ちゃんとできたんだ。これで安心だね」って。なんだか、俺が作った卵焼きを見て安心して逝っちゃったのかなって思ってね。

 

── お別れは突然だったのでしょうか。

 

ダンカンさん:突然ですよね。家で一緒に阪神タイガースの試合をテレビを観ていて、ママリンが疲れてそうだから、俺が膝枕してやってたのね。でもしばらくして「パパリン、疲れるからいいよ」って。野球が終わってから銭湯に行って、家に戻ってきたあたりからママリンの様子がおかしくなってて。呼吸が苦しそうって思っていたら、呼吸してない。止まってるみたいなんですよね。救急車をすぐ呼んで、虎太郎が泣きながら胸を押して人工蘇生して。長女もいつも家にいないのにたまたま家にいて、みんなで病院行って先生方も治療してくれたんだけど、そのまま亡くなってしまいました。長女の美つきが25歳、長男の甲子園が23歳、次男の虎太郎が16歳でした。

 

PROFILE ダンカンさん

1959年生まれ。埼玉県出身。俳優、放送作家、脚本家。1983年にたけし軍団入り。現在は株式会社TAP所属、同社専務取締役。

 

取材・文/松永怜 写真提供/ダンカン