虐待の被害に苦しむ人たちの相談に応じる「ゆずりは」所長の高橋亜美さん。現在、年間延べ6万件を超える相談に向き合う高橋さんですが、一度は「自分には無理」と諦めたことがあるそうです。(全3回中の2回)
親を頼れない子どもたちと関わる仕事「自分にはできない」と
── 大学では社会福祉を学び、卒業後、自立援助ホームで職員として勤務されました。なぜ、虐待などさまざまな事情で親に頼れない子どもたちを支える仕事に就こうと思ったのですか?
高橋さん:私は、小学4年から小学6年の夏まで約2年間、父親からスパルタ的な卓球の教育を受け、暴力もふるわれる経験をしました。あのころ、そのストレスから万引きが止められなかったこともあってか、気づくと、少年犯罪の背景に関心を持つようになっていました。罪を犯してしまう子どもや若者の心理がどうなっているのか、知りたいと思ったんです。
大学4年のときには、実習で自立援助ホームに行きました。何年か後にここで働くことになるのですが、そのホームで初めて、親からの虐待が原因で家を出て、15歳くらいから働きながら施設で暮らす子どもたちと出会ったんです。「ああ、本当にこういう生き方をしなければならない子たちがいるんだ」と思いました。ただ、職員さんたちがすごく生き生きと働いていて、子どもたちからも慕われている姿がすごく印象的で。すぐにその施設で働くことに関心を持ちました。でも、卒業後は結局、別の仕事をしたんです。
── それはなぜですか?
高橋さん:「私にはできない」と思ったからです。あのころはまだ、施設で子どもたちと関わることを仕事にする勇気が持てなかったんだと思います。
昔からお菓子作りが好きだったこともあって、大学卒業後は、作ったお菓子をカフェに置いてもらったり、自分で販売したりしていました。ある程度お金が貯まったら、海外を旅するんです。そんな生活を5、6年していました。その後、大学のときに実習で行った自立援助ホームに「何でもするから雇ってください!」と押しかけて、働くことになりました(笑)。
「家庭で安心できない子ども」の多さに衝撃
── 一度は「自分にはできない」と諦めたのに、「雇ってください」と施設に押しかけたんですね。何があったのでしょうか?
高橋さん:言うならば、施設で暮らす子どもたちに出会ってしまったから…でしょうか。卒業後もずっと彼らのことが頭から離れませんでした。だから、やりたいことをだけをやる生活を満喫できたと思えたとき、「子どもたちと関わる仕事にチャレンジしたい」と、自分の心に火がつくのを感じたんだと思います。29歳のとき、「あの子たちと生きるぞ」と、今の世界に飛び込んじゃいました(笑)。
── 自立援助ホームでの仕事を経て、2011年に「ゆずりは」を開所されました。どんなきっかけがあったのでしょうか。
高橋さん:自立援助ホームで出会った子どもたちは、18歳ないしは20歳で施設を出た後、ひとりで生活をしなければならないことが多いのですが、大変な境地に直面することが少なくありません。そこで、たとえ子どもたちが施設を離れても、何歳になっても、安心して助けを求められる場所をつくりたくて「ゆずりは」を始めました。自立援助ホームを運営している社会福祉法人に交渉して、一緒に開所してもらったんです。
──「ゆずりは」を始めてからはどんな相談がありましたか?
高橋さん:当初、「ゆずりは」では18歳くらいまで児童養護施設や里親のもとで育った子たちを対象にしていました。ただ、実際はそうではない子からの相談も多かったです。一時保護されても、児童養護施設に保護されないまま家庭に戻されたり、保護には至らないけれど家庭でずっと苦しい思いをしていたり。いろいろな人たちからの相談が相次ぎました。「親からの支配的な生活から逃げられず、家庭が安心できない子たちがこんなにいるんだ」と、衝撃を受けました。
一時保護された子どものその後…虐待死もありうる現実
── 親の虐待から一度保護された子どもが、その後家に戻ったと聞くと、どうなったのだろうと気になります。
高橋さん:家庭で親の虐待に遭っている子たちが一時保護される場合、そこから児童養護施設や里親のもとへ行ける子は、施設の人員不足もあって、とても限られています。児童養護施設に入所できないと、家庭に復帰させて在宅指導を行うかたちで子どもは自宅に戻ることがあります。「命の危険はないだろう」「親も反省しているようだ」などの判断から家庭に戻されるのです。
よく報道される子どもの虐待死は、一時保護所から自宅に戻った子たちが、親からさらにひどい虐待を受けて、命を落としてしまうことが多いように感じます。本当は、一時保護された子たちは、いったん児童養護施設に入るなどして、親や家族と距離をとることが大事だと思っています。親や家族の生活がある程度整理され、気持ちが落ち着くまで、子どもと離れるのです。
虐待に至る理由や状況はいろいろあって、背景にはさまざまな状況や要因が絡み合っています。親自身が根本的な解決につながるケアをしっかりと受けることも大切ですが、まだ十分ではないのが現状です。親のケアもままならず、家庭調整も十分でないままに、子どもをまた不安定な状態の家庭に戻してしまう。そこでまた虐待が繰り返されるというパターンが多いのです。
──「一度保護されたのちに家に戻った」という人たちの相談にのったことはありますか?
高橋さん:いま、「ゆずりは」にたどり着いている人たちは、子どものころに一時保護された後、児童養護施設に入らず家庭に戻され、その後も親や家族からの支配、暴力、教育虐待に遭い、やっと自力で逃げてきたという人もいます。20歳をすぎて「やっと自分の意思で行動できた」という人たちです。その人たちからは、「一時保護された後、そのまま施設に入れていたらよかったのに」とよく聞きます。