「母子手帳の存在がとてもつらかった」と語る山崎絵美さん。重度の知的・身体障害児を育てるなかで感じた課題感から、ある商品の開発に乗り出します。(全2回中の1回)
「普通の出産」と疑わなかった3人目の出産
── 2015年、3人きょうだいの末っ子として生まれた息子さん・いっくんは重度の障害を抱えていました。当時の状況を教えてください。
山崎さん:いっくんは妊娠7か月、700gの早産で産まれました。命の危険な状態で、産声を上げることもありませんでした。上の子2人に障害はなく、産まれた瞬間もお医者さんたちは笑顔で「おめでとうございます」と言ってくださったのに、いっくんの出産ではそんな雰囲気はいっさいありません。分娩室には、お医者さんや看護師さんたちが10人ほどいたんですけど、いっくんの命を救うためにあわただしく処置してくださっているなかで、私はもう何が何だかわからないという状況でした。
こんなことが自分の身に起こるなんて、まったく想像していなかった。今まで感じたことのない「絶望」という気持ちに押しつぶされながらひとりで病室に戻ったことは覚えています。
── そこから気持ちを立て直すのは難しかったのではないでしょうか。
山崎さん:最初は、命が助かっただけでありがたいと思っていたんです。でも時間が経つにつれて、ハイハイや会話など、いっくんの「できないこと」しか見えなくなってきて…。徐々に、周囲を羨んだり、妬んだり、妊婦さんを見かけるのもつらくなってしまいました。「誰のせいでもない」とみんながなぐさめてくれましたが「こんな体に産んでしまって申し訳ない」と自分を責める日々でした。誰にも会いたくなくて、買い物も隣町のスーパーまで行って隠れるように暮らしていました。
── 笑顔が素敵な今の姿からは想像できません。
山崎さん:あのまま気持ちが落ち続けていたらどうなっていたのか…。そんな落ち続けていた穴から私を引っ張り上げてくれたのが、当時まだ小学生だった上の子たちです。母親が悩んでいても関係なく「お腹すいたー!」って言ってきますしね(笑)。「3人の子どもたちを育てなきゃ」と「現実」に引き戻してくれました。
あとは、いっくんが療育施設に通うようになって出会ったお母さんたちや支援者の方たちの存在がとても大きかったです。同じように悩みながらも前向きに子育てに向き合う親御さんたちや、いっくんに笑顔で接してくれる支援者さんたちと出会えて「私はひとりじゃない」「この子を育てていいんだ」と思えたんです。
普通の母子手帳の存在がとてもつらかった
── 2021年に、勤め先の印刷業社・トレンドで、障害と共に生きる方のためのブランド「cocoe」を立ち上げられました。何かきっかけがあったのですか?
山崎さん:障害者施設へのボランティア訪問とコロナ禍が重なったことが、ブランドの立ち上げにつながりました。弊社の代表も含めたスタッフたちで、2019年のクリスマスに、いっくんが当時通っていた療育施設にボランティアで訪問したんです。私の発案でした。弊社で大きな紙に印刷した紙芝居を作って披露したり、ハンドベルの演奏をしたりしました。
いざ訪問してみると、親御さんたちもたくさんいらしていて、すごく熱心に聞いてくださったんですね。なかには涙を流す方までいて。みんなに喜んでいただきたいと準備して行ったら、こちらも感動させられて…。
── その後すぐにコロナ禍に突入します。
山崎さん:そうです。そんなときに、代表が「いっくんの子育てで困ったことを具体的に教えてほしい」と聞いてくださったんです。実は、クリスマスのボランティア訪問でいちばん感動していたのが、代表なんです(笑)。
そのときに、私は「母子手帳の存在がとてもつらかった」と伝えました。妊娠したときに公的機関からもらう「普通の母子手帳」が示す成長の目安といっくんの成長のズレが苦しかったんです。そうしたら、「きっと同じ思いをしたお母さんはいっぱいいますね」とおっしゃって、障害者の家族が苦しまないで使える育児ノート作りが始まりました。
2021年6月、ブランド「cocoe」の立ち上げと同時に販売を開始した「障害児や医療的ケア児のための育児ノート」は大きな反響をいただき、今も毎日のようにメールなどで全国から感謝の言葉をいただける商品になりました。