お笑い芸人・木村祐一さんと結婚した西方凌さんは、不妊治療を経て姉弟を授かりました。2人目の出産時には、妊婦高血圧症候群と診断されて緊急帝王切開になり、産後は「娘にチックが出たこともあったし、幼稚園でトラブルが多くて尾ひれ背びれがついたり、噂が広がったりすることもあった」と振り返ります。(全4回中の3回)
「キンキンに冷えた分娩台で震えたままお産を」
── 2人目のお子さんの産前産後について聞かせてください。
西方さん:1人目を妊娠するときは「あなたを守るメンバーを作りたい!」と言って夫には治療に協力してもらったのですが、2人目のときもまた口説き文句を並べました。「今度はあなたを守るメンバーを増やしたい!」とか「娘も『弟か妹がほしい』って言ってたよ」とか「一緒に遊べるきょうだいがいたほうが親もラクらしいよ」とか(笑)。彼も賛成してくれたので、凍結していた受精卵を戻して2人目を妊娠しました。
妊娠中は、つわりがひどかったものの大きなトラブルや体重増加もなく、超優良妊婦だったんです。でも、予定日直前に妊婦高血圧症候群になって、その日のうちに緊急帝王切開になりました。
── 詳しく聞かせていただけますか?
西方さん:予定日の2日前だったかな。母が来てくれていたので「今日も産まれる気配がないね~」と言いながらふたりでテレビを見ていたら突然、頭が痛くなり、だんだん気持ち悪くなってきて。一瞬、父のくも膜下出血がよぎりました。頭痛が強くなってきたことを母に伝えると、すぐ夫に電話をかけてくれて。隣に住む方が婦人科の先生なので、夫がお隣さんを連れてきてくれて診てもらったところ、「血圧がすごく上がっているから今すぐ病院に行ったほうがいい」と勧められました。病院に駆け込んだときには血圧が180近くまで上がっていたので、「今すぐ産みましょう」と言われて。意識がもうろうとするなか、バタバタと出産準備に入りました。
通っていたクリニックは、母体の産む力と赤ちゃんの産まれてくる力を優先してバースプランを考えるところだったので、「帝王切開は基本的にはしません。もしもの場合は大きな病院に搬送します。緊急時以外はオペ室を使いません」と聞いていたんです。でも、そのオペ室でまさかの出産になってしまって。2月の冷え込む夜の緊急オペだったこともあり、キンキンに冷えた分娩台で、唇が震えたままお産が始まりました。
1人目は安産ではあったのですが、産後に出血が止まらず、器具を使って子宮内の血液を掻き出すために両側から看護士さんにお腹を押されて、地獄のような痛みだったんです。見ていた夫がお産より心配するほど私は泣き叫んでいて、出産の余韻に浸る余裕がありませんでした。だからこそ、2人目は痛みも含めてすべてを楽しみたいと願ってバースプランを決めていたので、「えー、このまま産んじゃうの?」「あー、今おなか切ってる」「あれ?これで出産が終わり?」というスピード感で。頭では状況を理解しているものの、こんなはずじゃなかったのに…と涙が止まらなくなりました。すると、先生が肩をトントンと触って「立派なお産でしたよ」と声をかけてくださって。そのひと言で「あ、これはこれですごくいいお産だったんだ」と心が救われました。
チック症状を見て「娘ファーストでいこう」と決意
── 上のお子さんのケアと赤ちゃんのお世話のバランスは、どのように取っていましたか?
西方さん:娘は、悲しみや悔しさなどの感情を怒りで表すことが多くて、放っておかれるのが苦手な子なんです。弟が産まれるとチックが始まってしまったので、夫と話して「まずは娘ファーストでいこう」と決めました。赤ちゃんを見に来てくれる人たちにも、前もって「お姉ちゃんに会いに来たと思ってまずは遊んでもらって、娘から『弟ができたんだよ』と言ってきたら『あ、そうなの?見せて』みたいな流れにしてもらえない?」とお願いしました。
皆さんの協力もあってチックが治まり、だんだん弟に興味を持ってかわいがるようになってくれたのですが、ずっと優先し続けるわけにはいかないので、弟が2歳の誕生日を迎えたときに「実はこういう理由であなたを優先していました。でも、この先は弟にも記憶が残っていくから、今日からは平等です」と宣言したんです(笑)。娘は「えー!やだ!私優先がいい!」という反応でしたが、そう言いながらも夫は完全に娘ファーストなので、「でも、とーち(木村さん)は優先するからね~」みたいなことを夫がこっそり娘に言う、私は“平等宣言”を進めるという形で、夫婦で分担しました。
── 西方さんのインスタグラムには、「娘は感情を怒りで表すことが多く、誤解されることもしばしば。幼少期はトラブルも多かった。何かすれば尾ひれ背びれがついたり。時には手や足だって生えて噂が広がったりもしていたようです」と書かれていました。
西方さん:そうですね。娘が幼稚園年少のころ、お友だちをつねったり、ひどいことを言ってしまったりしたことがあったんです。園の先生方は、そういう言動を取った理由を追求したうえで「園で起こったことなので、お家では叱らないでください。ちゃんと本人には話しましたので」と言ってくださり、私はお母さんに謝りに行きました。ただ、その後も娘に対して監視の目があったので、過剰に叱るようになってしまって。人の目ばかりを気にして、娘の心を大切にしなかったことを反省する意味で書きました。
── 監視の目というのは…?
西方さん:周囲から聞いた話なので本当かどうかはわからないのですが、「あの子、また何かやったの?」と子どもに聞く方がいたみたいで、娘の行いに関して子どもたちが親に報告するような状況になっていたみたいなんです。娘が誰かとおもちゃの取り合いをしたら、子どもたちがワーッと集まってきて、そのときに見たことを帰宅して親に話す、その内容に尾ひれがついて一部のママにLINEが回る、という流れになっていたみたいで。
LINEを読んだママ友から「今日こんなことがあったらしいね」という話を、先生から教えていただく前に聞くということが日常的になっていました。私もそのたびに「きょうお友だちとこんなことがあったって聞いたけど、本当?」から始まって、娘が話し出そうとすると「あなたがそういうことをするから、私はあなたを守れなくなる!」と叱ってしまって。4歳の子に言っても理解できるわけがないし、そうなったには何か理由があるかもしれないのに、本人の話をきちんと聞かずに叱ってしまっていたんです。「あ、そうか。それは嫌だったよね」という共感をまったくせず、トラブルをなくすことばかり考えて、人から聞いた話を信じて、娘を叱るどころか怒りにいってしまっていました。
そのころ、娘は口癖のように「どうせ私はうちの子だからでしょ!」とよく言っていたんです。ほかのお友だちと自分が同じことをしていても、自分ばかりが叱られるなんて不公平だということを訴えていたのですが、それに対しても、私は「あなたが私の子だからだよ!お友だちは、お友だちのお母さんが注意するから!」と反論してしまって。今考えると、本来叱らなくてもいいことでも叱っていたし、娘は怒りでしか感情を表現できない子なので、反抗的な言葉は彼女なりのSOSだったんだとわかるのですが、当時は気づくことができませんでした。