どの世界で働いていても、大きな壁や自分自身の葛藤はあります。田中美里さんは、いきなりNHK連続テレビ小説『あぐり』の主役を演じた後に、それはやってきました。どうやって乗り越えたのか、支えになった言葉があったと言います。(全4回中の4回)

『あぐり』後のプレッシャーに悩んだ日々

田中美里さんが描いた帽子のアート
田中美里さんが石を使って描いた帽子のアート

── NHK連続テレビ小説『あぐり』のオーディションでヒロインに抜擢され、主演デビューされました。大きな注目を浴び、看板を背負うつらさやプレッシャーを感じることはなかったですか?
 

田中さん:『あぐり』のときは、まだつらさを感じるひまがなかった気がします。むしろ、それ以降のほうが大変でしたね。というのも、もともと大人っぽく見られがちで、『あぐり』では15歳から49歳まで演じたけれど、スタッフの方に「49歳になってようやくしっくりきたね」と言われたくらい(笑)。だから、知らない方にはそれなりのキャリアがある人間だと思われてしまうんです。たとえば、初めてアフレコをしたときも「もう慣れているでしょ」と思われて、私も「やったことがないんです」とは言えずにいたり。そんなことが20代前半はよくありました。実力と周囲の期待のギャップを埋められずに悩んでいた時期でした。

 

田中美里さん
テレビ番組の収録で故郷の金沢を案内

── 悩みは解消できましたか?

 

田中さん:ずっと抱え続けていましたね。いま振り返るといろいろムリをしていたと思います。あのころインタビューでよく「私は喜怒哀楽の喜と楽しかないので、気楽でいいです」と言っていた記憶があって。でも、やっぱり人間だから、喜怒哀楽が全部ないとどこかに歪みが出てしまう。怒ってる、傷ついている、ということも相手にちゃんとわかってもらわないと、バランスが崩れてしまう。それは体調を崩して学びました。

監督からの意外な言葉が支えに

── 体調面にはどんな変化が?

 

田中さん:まず閉所への恐怖心からエレベーターに乗れなくなって、階段で7階まで上がることもありました。ちょうどNHKで時代劇『一絃の琴』を撮っている最中で、大森青児監督や役者さんを待たせてしまうことがあって、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。だけど、監督にそう伝えたら、「よかったね!」と言われて。「『あぐり』のときはそうはならなかったでしょ。でも経験を重ねたことで、何がいいお芝居なのかわかるようになってきた。それで怖さが増している。だから前に進まないといけない、ここで辞めてはいけません。一緒に乗り越えていきましょう」と言ってくださって。それが支えになりました。

 

デビュー当時の田中美里さん
デビュー当時。スタイルの良さが際立ちます

── 言葉を励みに、芝居を続けたわけですね。

 

田中さん:でも、最終的に動くのもままならなくなって、「はい、3歩前に歩いて」と言われてようやく足を踏み出すようなこともありました。それでも「全然、大丈夫だよ」と、粘り強く見守ってくださっていましたね。

 

共演者の方たちもそうそうたる役者さんがいらしたけれど、みなさん何も言わずにいてくれた。そのとき監督に「誰もあなたに対して不満を言わないの、なぜだかわかる?みんな同じ経験をしているからだよ。この先そういう後輩が必ず現れると思うから、そのときは痛みがわかる女優さんになってね」と、言われたのが強く心に残っています。