「あぁ、守られているな」と現場で感じ
── 朝ドラの主演は相当ハードだと聞きますが…。
田中さん:『あぐり』は稽古も含めて9か月間。すべてが初めての経験で、やっぱりしんどいこともありました。撮影の休みはあったけど、そこに取材だったり、ほかのお仕事が入ったりするので、結局休みはなくなってしまう。時間がなくて、寝るか、セリフを覚えるか、という状態でした。お芝居の経験はないものの、スケジュールが詰まっているので、じっくり時間をかけられないまま、撮影が進んでしまう。そこにとまどいはありました。ただ共演者のみなさん本当に優しくて、周りに助けていただいた部分は大きかったですね。
あるシーンで私が「うっ!」と倒れる演技をしたときのことです。ひとたびOKは出たけれど、名取裕子さんに「そんな倒れ方では放送されたときに彼女が恥をかいてしまう」と言われ、撮り直すことになりました。タイトなスケジュールをさいて時間を費やし、名取さんがいちから教えてくださって。それって本当に私のことを考えてのことだと思うんです。
義母役の星由里子さんも「栄養をつけないといけないから」と、手作りのお弁当を持ってきてくださったり、「これ似合うかも」とお洋服をいただいたり、本当のお母さんのように接してくれて。里見浩太朗さんは「いまはあなたがキラキラ輝くために周りがみんなで支えてあげている。でも、これからもっと厳しい世界になるから、健康に気をつけて頑張ってね」と声をかけてくだったり。「あぁ、守られているな」と思いました。
── お芝居の楽しさを感じることはありましたか?
田中さん:最初はなかなかわからなくて、演じながら感じるようになっていった感じでしょうか。それもやはり共演者のみなさんに教わった部分が大きかったと思います。たとえば、野村萬斎さんが赤いマフラーなど象徴的な小物を自分で発注されているのを見て、台本をそのままやるのではなく、肉づけしていいんだということを知ったり。そこで台本以上のものができ上がる楽しさに気づき、役者っておもしろいかもって思うようになりました。
── 長いこと『あぐり』の放映を見ていなかったそうですね。
田中さん:そうなんです。撮影中はきっと芝居の欠点を探してしまうだろうし、初めての演技が恥ずかしくて見られなくて。でも、数年前に再放送があって、ついに見ちゃいました(笑)。もう他人が映っていました。あれから20数年経っていたので、自分のことというより、10代の子が一生懸命頑張っているなという感じ。こんなお芝居をしていたんだと思うのと同時に、このお芝居、いまはやっぱりできないなって感じましたね。いろいろな経験をしたいまの自分では、こんなストレートな表現のしかたはできないと思う。真似のできない、キラキラしたようなものがありました。
PROFILE 田中美里さん
たなか・みさと。1977年生まれ、石川県出身。1996年 第4回「東宝シンデレラ」審査員特別賞受賞。1997年、NHK連続テレビ小説『あぐり』のヒロインに抜擢されデビュー。その後、数々の映画、ドラマ、舞台のみならず、『冬のソナタ』のチェ・ジウの吹替えや、ナレーションなどでも活躍。bay-FM 『Morning Cruisin'』ではパーソナリティを20年以上担当。帽子ブランド『Jin no beat shi te cassie』のプロデュースも手がける。2025年1月24日に出演映画『美晴に傘を』の公開を予定。
取材・文/小野寺悦子 写真提供/アンプレ