シンガーソングライターとして活躍する玉城ちはるさん。24歳から約10年間ひとり暮らしの家に留学生を受け入れ、ホストマザーとして36名を送り出してきました。留学生との共同生活では学ぶことが多く、その後の人生に大きな影響ももたらしたそうです。(全4回中の2回)
最初はルームシェア感覚だったけど…24歳の若さで最大9人の「ママ」に
── 24歳のころ、無償で留学生を受け入れホストマザーを始めたそうですね。ご家庭ではなくひとり暮らしでホストになるというのは、日本ではなかなか珍しいパターンなのかなと思いますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
玉城さん:当時はまだアルバイトをしながら、メジャーデビューを目指して音楽活動をしていたころです。カラオケボックスのアルバイトならお金がもらえて歌の練習もできると、私には好都合で。そこのアルバイトには留学生が多かったんですが、20年くらい前は外国人だとなかなか家を貸してもらえず、住むところに悩んでいました。それで「よかったら共同生活しますか?」と、ルームシェア感覚で誘ったのがきっかけです。
このままじゃ彼らが帰国した後、「日本人は家も貸してくれなかった」となってしまう。それではいけないと思ったんです。それから、受け入れた留学生が卒業するたび、「ママ、友だちも家を借りられないから連れてきていい?」と、入れ替わるように違う子がやって来ることが続き、そうしていくうちにわが家のことを聞きつけて連絡してくる人が出てきました。なんと韓国ではNaverという掲示板にわが家のことが載っていたり(笑)。
それで、賃貸の定員の問題を解決すべく板橋に一軒家を借りて住むことに。最終的には、世田谷に3階建ての一軒家を借りて、トータル10年で36人の留学生を送り出しました。実は留学生だけではなく、人づてに私のことを知りやってきた日本人もいて、児童養護施設出身者やひとり親や親がいない子なども受け入れてきました。そういう子には学費を私が肩代わりしてあげたこともありました。
基本的にはちゃんと卒業するまで無償で住むところを提供していましたが、なかには光熱費として3万円渡して来る子もいたり、さまざまでした。最大で9人いたこともあります。食事は可能な範囲は作るけれど、おやつや豪華なおかずなどは自分たちで買いなさいと。韓国から来た留学生は親が送ってきたキムチを差し入れてくれたことも。
── 人数が増えていくことで大変だったことはありますか?
玉城さん:光熱費が上がることは避けられませんでした(笑)。なので私も電気や水道のムダ使いしている子を見ると注意しましたよ。掃除当番とかも、ちゃんとしない子がいたりするんですけど、私は嫌われたくなくて代わりにやってあげてしまったりすると、ちゃんと守ってやっている子が「あなたがやったらダメでしょ!私は真面目にやってるんだからちゃんとリーダーとしてダメなことはダメと言いなさい!」と怒られたり。リーダーとしての素質も自然と養われていきました(笑)。
生活習慣だけでなく宗教の違いでもめることも多く、一つひとつ丁寧に話し合いました。「あなたの国の文化を知っているわけじゃないからあなたを不快にさせるつもりはなかったけど、何を怒っているの?」と教えてもらう。「私たちはその文化を知りませんでした。これから学んでいくから怒らないでね」と、お互い議論を交わしながら相互理解していきました。