「3か月でムリと気づいた」大赤字にトラブルも起こって
── 赤字の原因は?
内山さん:すべてですよね。戦略も何もなかったから。会社を立ち上げるなら、ふつうは戦略を立てるじゃないですか。正直、ちょっと天狗になっていたというのもあると思うんです。「内山くんが始めた介護」というだけ、集約を増やすアピールをしなくてもやっていけるんじゃないかって。それで地元・葛飾のおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれればいいと思っていたんです。
その時点でもうダメですよね。それに、介護は横のつながりが大事で。たとえば病院や行政と何らかのつながりがないと仕事が広がらない。そういうコミュニティがいっさいなく、3人で始めて突き進んでいただけだったので、できるわけがないですよね。結局、3年で辞めましたが、決断をくだすのは遅すぎたくらい。最初の3か月で「これはムリだ、できない」と、すでに思っていたので。トラブルがたくさんあったんですよ…お金の問題やら、いろいろキツいことがありました。
── そこで学んだことは?
内山さん:いかに自分が経営に向いてないか、がわかりました。自分は芸能以外、何もできないことを当時は理解していなかったんですよね。芸能にしても、僕はやっぱりフリーじゃムリ。会社というものがあって、マネージャーさんがいて初めてできる。たとえば、ロケに行くにしても、飛行機やホテルの手配もやり方がかわからない。いろいろなサポートがあって、仕事ができていたことにそこで気づかされたというか。自分はひとりでは何もできないんだということを、多額のお金を使って知りました。
── 今後また事業に乗り出すことは考えていますか?名前が知られていると、いろいろお誘いはありそうですが…。
内山さん:誘いはありますけど、もうこの先はやらないですね。これまでも投資話とか、いろいろ騙されたりしてきたので。世の中に、うまい話なんてないんですよね。そんな話があったら、人に言うわけがないじゃないですか。だけど、若かったから気づかなかった。ダマされたことがない人からすれば、そんなの「なんでダマされるの?」って思うだろうけど、好奇心旺盛だったので、自分が痛い目にあってみないとわからないんですよ。いまも「共同経営しませんか?」とか、いろいろ話はきます。でも、そういうのはもう絶対にムリ。たとえば「イメージキャラクターになりませんか?」なんていう話なら、もういくらでも待っています。そちらはぜひともお願いしたいですね(笑)。
PROFILE 内山信二さん
うちやま・しんじ。1981年生まれ、東京都出身。6歳でバラエティ番組『あっぱれさんま大先生』にレギュラー出演。以降タレント、俳優としても幅広く活動。映画『秘密』、『TAKESHIS’』、『鋼の錬金術師』ほか。ドラマ『ごくせん』シリーズ、『ヤスコとケンジ』、『一休さん2』 NHK連続テレビ小説『天うらら』、BS時代劇『一路』等に出演。
取材・文/小野寺悦子 写真提供/SHUプロモーション