幼少期のMISIAさん「好きなことに一生懸命」

── MISIAさんがひとりでお留守番することもあったそうですね。

 

伊藤さん:当時、病院からすぐ近くの宿舎に住んでいたのですが、夫が不在で私が夜中に仕事があるときは、不安だろうと思って次女が眠ってから家を出ていました。ところがあるとき、次女が眠ったふりをしていることに気がつきました。あとから聞いたら「最初は早く行きたそうだからと思っていたんだけど、漫画の続きを読みたいし、見たいテレビもあったし」って(笑)。そういう楽しみがあったから私がいないことも気にならなかったそうです。子どもってたくましいんですね。私たちも3人目の次女にはゆっくり構えていたと思います。

 

MISIAさんときょうだい
「きょうだい愛が伝わる!」生まれてすぐのMISIAさんを大事そうに囲む長女(写真左)と長男(写真右)

── MISIAさんは小さいころから音楽に触れていたのですか。

 

伊藤さん:次女は4歳のときに「ピアノを習いたい」と言って始めました。ピアノは、上の子たちが習っていましたし、実は私も小さいころに習ったことがありました。あるとき、バイエルのCDを聞く機会があって、そこで初めて「こんなに綺麗な曲だったの」と思ったので、次女にはバイエルに始まり、ソナチネなどのCDを買ってきました。田舎に住んでいたので、音楽について協力したのはそれくらいですね。

 

── 曲のイメージから入るんですね。

 

伊藤さん:はい、次女はいわゆる耳コピがよかったのか、覚えは早かったですし、何より綺麗に弾いていました。上の2人もそうしてあげればよかったと思いましたよ。次女が家でミュージカル曲の弾き語りをしてくれて家族で楽しんでいましたし、本人もみんなに聞かせることを楽しんでいました。上の2人に対しては「とりあえず勉強をしておけば、希望する道に進める」と単純に思っていたので、塾に行きなさいとは言いませんでしたが、勉強しなさいとは言っていました。対馬に引っ越したこともあって、次女には、勉強、勉強とは言いませんでしたね。

 

── 歌はいつ頃から習い始めたのですか。

 

伊藤さん:小学2年生のころに地元の合唱団の定期演奏会に行き、その次の練習日にひとりで「入団したい」と申し込みに行ったんです。そしたら「保護者の方じゃないと申し込めません」と言われたそうで。そこから歌も始め、10歳頃には歌手になりたいと思ったようです。指導していただいた先生が音大の声楽科を出たばかりの方で、基礎的なレッスンをしてくださったとも聞きました。やりたいことを見つける前に、勉強、勉強と言って押しつぶさなくて良かったと思いました。本当に好きなことを見つけるって、時間がかかりますよね。

 

次女の中学卒業のタイミングで長女が大学に通っていたので、福岡でふたり暮らしをして、高校に通いながら歌のレッスン受けることになりました。その2年後に、私達も足掛け10年務めた対馬の病院を退職し、福岡に参りました。

 

── 見事に歌手デビューを飾りますが、小さいころからの夢を叶えられたのはなぜだと思いますか。

 

伊藤さん:本人は歌手になりたいという夢を叶えるために一生懸命でした。好きなことには一生懸命になれるということでしょうか。親が干渉すると子どもの自由さがだんだんなくなってきます。なんでもいいのでまず、好きなことをひとつ見つけられてよかったと思いますね。学校と勉強は好きなものを見つけるためにあってほしいと親は願いますし、好きなことを叶えるために勉強するとなったら子どもも楽しいですよね。好循環が回ると思います。

 

── 国民的歌手とも言われていますが、自分の娘が大勢の方の前で歌う姿をご覧になっていかがですか。

 

伊藤さん:私たち家族も、次女のライブが楽しみになっています。最初は、家族みんなでドキドキしていました。夢を叶えて、みなさんの前で歌うことができているのは本当にありがたいですし、ライブに来てくださるみなさんひとりひとりに御礼を言いたいくらいです。次女は本当に運がよく、人に恵まれました。最初は誰もが素人なわけで、次女も例外ではなく、そこをみなさんの経験から力を貸していただいてデビューできました。本人もデビューしたときは、周りの方々の経験を全部つぎ込んでもらったと感謝しています。ひとりではこうなれなかったと家族みんな思っていますし、時代にも助けられたと思います。

 

次女はたまに、私たち夫婦が年を取っているから心配だと言って帰ってくるんですが、家事全般なんでも、よく働いてくれますよ。家にいる時は今までと何も変わりません。家族から見ても真面目で仕事人間だなと思いますね。

 

PROFILE 伊藤瑞子さん

いとう・みずこ。1945年4月生まれ。福岡県福岡市のあおばクリニック前院長。長崎大学医学部卒業後、長崎大学病理学第2教室入局、長男と長女を出産。国立長崎中央病院臨床研修医(現 国立病院機構長崎医療センター)として勤務中に次女のMISIAを出産。小児科医師となる。その後、長崎県離島医療圏組合厳原病院小児科医長(現 長崎県対馬病院)を経て福岡県の病院に勤務し、開業。71歳で福岡女子大学大学院 人文社会科学研究科に入学、修士課程修了。福岡県こども審議会の専門委員に任命されたほか、講演会などで登壇も行う。

 

取材・文・撮影/内橋明日香 写真提供/伊藤瑞子