歌手のMISIAさんの母・伊藤瑞子さんは、夫婦で医師として長崎県の離島で働く中、3人の子どもたちは自由を楽しんでいたと振り返ります。周りに助けられたという子育て環境とは。(全4回中の3回)

働くうえで「子どもたちが助けてくれた」

── 次女のMISIAさんは3人目のお子さんとして生まれたそうですね。

 

伊藤さん:6月30日が予定日だったのですが、長女が「七夕生まれがいい」と言っていて。本当に7月6日の夕方に陣痛が来て、7日の明け方に生まれたんです。

 

伊藤瑞子さん
「白衣だけでなくスーツ姿もお似合いです」大学院を卒業した福岡女子大学で講演をする伊藤瑞子さん(写真提供/福岡女子大学)

学校に行く前に生まれたばかりの赤ちゃんを病院に見に来て、「やっぱり私の言ったとおり」というのが長女の自慢でしたよ。長男とは8歳、長女とは7歳離れています。2人は本当に次女のことをかわいがってくれました。

 

── 夫婦ともに医師として働かれていて、お子さん3人で留守番をすることもあったそうですね。

 

伊藤さん:実は、子どもにとって親がいないというのは自由にできるチャンスでもあったようです。上の2人が小学生になると子どもたちだけで半日くらいはお留守番ができましたし、夏休みも今のように学童保育はないので、お昼にお弁当を作っていく日もあれば、お金を置いていく日もありました。昼食代でお菓子を買うのもまた楽しみだったようです。子どもたちの見守りのために相変わらずシルバーセンターの方の派遣をお願いして自宅に来てもらっていましたが、親のようにはうるさく言わないので、好きなこともできていたようです。

 

ひとりっ子だったら心配で置いていけなかったかもしれませんが、働くうえで、子どもたちが親を助けてくれました。当時、ほとんどの母親は専業主婦だったので、寂しい思いをしたことと思いますが、子どもも、ときには親がいない自由さを楽しんでいたとあとから聞いて安心しました。次女が3歳を過ぎて、民間保育所に移ってからは大変でしたが、私も夫も仕事の土曜日の午後は、小学校高学年頃の長女が次女を部活に連れて行ってくれました。「部活の間、何しているの」と聞いたら「練習中は監督が見てくれている」と。本当にあちらこちらで、子育てを手伝ってもらっていたのですね。

 

── その光景を想像すると微笑ましいです。

 

伊藤さん:長男はさすがに頼んでも一緒に連れ歩いてはくれませんでしたが、小学校高学年の男の子が4歳の女の子を男の子同士の遊びに連れて行くのは、今考えると気恥ずかしいですよね。

 

そのころ、私と夫が勤務していた長崎県大村市の病院は、離島の重症の患者さんをヘリコプターで搬送していたのですが、夫が「自分たちが行った方が早い」と言い出しまして。私も長崎県対馬市の離島医療に携わることになりました。上の子2人が中学生のころで、次女はまだ保育所に通っていました。

 

── 離島での生活はいかがでしたか。

 

伊藤さん:上の子たちは最初「行きたくない」と言っていたのですが、部活動でお友だちができ始めてから慣れていきました。そのころ、人口はおよそ46000人でしたが、現在は過疎が進行しておよそ27000人になっています。何しろ医療過疎の島ですから、本当に忙しくて私たち夫婦は仕事ばかりしていました。仕事の話を家ではしないご家庭もあるかと思いますが、私たちは親が何をしているか、子どもが見てくれることで理解してくれていたのがよかったと思っています。ときどき親の議論に加わって、子どもが鋭いことを言うのも面白かったですね。

 

夜も、子どもたちだけでお家にいることもありましたが、3人だったからこそできたことだと思います。寒い時期に次女が、移動販売の焼き芋を買って、私たち両親の分をアルミホイルに包んでストーブの上で温めてくれていたこともありました。心に残る、嬉しかった思い出のひとつです。今は難しいかもしれませんが、子どもたちだけで家にいられる時代でした。

 

私たちはただ一生懸命、目の前の患者さんと向き合うことができました。離島の病院では24時間、病児保育つきの保育所を作りました。設立には反対意見もありましたが、この保育所は今も続いていて、離島医療圏の女性も子どもを連れて単身赴任ができると伺いました。小児科の診療に、検診や予防接種、住民への健康教室、産科の新設や周産期寮の立ち上げと、離島での10年間は本当によく働いたと思います。

 

── 長男と長女は先に家を出たそうですね。

 

伊藤さん:上の2人は高校進学の際に、対馬を離れて私の実家から高校に通うことなりました。学童保育がまだなかったので、次女も小学校の夏休みには一緒に実家に預けていたのですが、長女が高校のプールに連れて行き、みんなに可愛がってもらっていたそうです。歌手デビューしてから「あのときの妹!?」とびっくりされたと聞きました。

 

宿舎に住んだことで、学年が近い子どもたちのなかで子育てができる環境にも助けられました。次女が病院の宿舎で友達と遊んでいると、夕方になっても私たち夫婦が仕事で帰れないときなどは、同僚の奥様たちが「うちで夕飯食べさせとくよ」と声をかけて下さいました。なかなか遊びに出かけることもできずにいたのですが、日曜に私が仕事のときも遊びに連れて行ってくれましたし、近所の子どもたちみんなとお揃いの編み込みのベストをプレゼントしてくださった方も。とにかく忙しくて仕事ばかりしていましたが、思い返してみると、困ったときは私たちの両親も含め、誰かがそっと手を差し伸べてくださっていたんだと改めて思います。周りの皆さんに助けられました。

 

── すごく温かい子育て環境ですね。お子さんたちも楽しそうです。

 

伊藤さん:今も仕事が大変なことは変わらないと思いますが、制度としては産休も育休もあって、学童保育もありますけど、周りに助けてもらって子育てをする環境としてはシビアですよね。小さいお子さんには必ず親が付き添う必要があって離れられないですし、今は子どもたちだけでお留守番して過ごすとか、子どもを他人の家に預けるなんてこともなかなか難しい時代だと思います。私は、断然、子育てを始めるのは田舎がいいなと思います。