MISIAさんの母で小児科医の伊藤瑞子さんが3人の子育てをしながら働くうえで、上司の存在に助けられたそうです。「当時の日本では先進的な方法」だという働き方とは──。(全4回中の2回)

3人目に生まれたMISIAさん「24時間保育所に助けられて」

── 年子で2人のお子さんを出産され、その7年後にMISIAさんが生まれました。

 

伊藤さん:長崎県長崎市の長崎大学に勤務していたころ、上2人の子どもを保育所に預けて職場まで通うのに1時間ほどかかっていました。帰りもなるべく早く迎えに行こうと思うのですが、渋滞に巻き込まれると車の中で走りたいような気持ちでした。このころは、子育ては2人で手一杯だと感じていました。

 

MISIAさんとごきょうだい
「きょうだい愛が伝わる!」生まれてすぐのMISIAさんを大事そうに囲む長女(写真左)と長男(写真右)

その後、夫が勤務する長崎県大村市にある国立病院で臨床研修医として勤務したのですが、緊急性の高い新生児や小児疾患を受け入れる体制が手厚い病院だったこともあり、大変ではありますが、やりがいのある小児科を専攻することを決めました。この病院には労働組合が設立した24時間預けられる院内保育所がその当時にあったんです。48年前にですよ。

 

夜中に突然呼び出しがあっても、いつでも子どもを預けることができました。子どもを小児科の仕事で見ているとやっぱり可愛いし、この環境のなかで、もうひとり育ててみたいなと思って生まれたのが、次女で3人目のMISIAなんです。

 

── MISIAさんをその保育所に預けて働かれたんですね。

 

伊藤さん:次女は生後43日から院内保育所に通っていましたが、昼休みには子どもに会えますし、子育てをハンデと感じずに安定した気持ちで仕事と両立することができました。この保育所がなかったら、年子の2人の子育てでいっぱいいっぱいで、とても3人目は考えられなかったと思います。

 

── 24時間いつでも預けていいというのは心強いですね。

 

伊藤さん:当時、私たち家族は病院の宿舎で生活していたのですが、保育所と職場の病院と宿舎が半径50メートル以内にあってロスタイムはほとんどありません。この保育所がとても融通が利いて、本当にありがたい存在でした。

 

多くの看護師さんがそこに子どもを預けて働いていました。準夜勤(夕方〜深夜までの勤務)をする看護師さんは、夕方に子どもを保育所に預け、夜中に勤務が終わってから子どもを起こさずに隣で一緒に仮眠もできました。朝になって、子どもと一緒に家に帰ります。そんなこともできました。

 

夫が当直等で不在で、私も夜間に呼び出しがあれば子どもを預けるのですが、しばらくして患者さんの状態が落ち着いたら保育所にいる子どもの隣で一緒に仮眠し、そのあとまた病棟に様子を見に行って、これで大丈夫だとなれば子どもと家に帰るという生活を送っていました。今考えると大変ですが、若いときで体力もありましたから、患者さんに対して時間外の対応ができる環境がありがたかったです。

 

── 子どもを起こさず、隣で一緒に仮眠がとれるとはすごいです。

 

伊藤さん:場所も広かったですしね。それに、通勤時間もほとんどゼロになると、夫が育児に参加できるようになったのも大きかったです。夫も、ちょっとした時間に家に帰って子どもたちと一緒に遊んだり、お迎えに行ったりすることができましたし、私が当直(休日や夜勤)の時は、家で子どもを見てくれていました。当直室に夫が子どもを抱っこして授乳に連れてくることもありましたね。

 

あの時代でも、時間的な無駄がなければ、男性が育児に参加できるんだと思いました。今でも、女性医師の当直免除のために、そのぶん男性医師が疲弊しているという話をよく聞きますが、社会的にシステムを作ってなんとか解消してほしいですね。