1980年代にアイドルユニット「パンジー」として活躍、その後女優の道に進んだ北原佐和子さん。デビューするまでの経緯や、当時の活躍について伺いました。(全2回中の1回)

雑誌の読者ページがきっかけでデビュー

アイドル時代の北原佐和子さん
花の82年組。当時のキャッチフレーズは「さわやか恋人一年生」

── 高校生のころに芸能界デビューされたそうですが、きっかけを教えてください。

 

北原さん:当時のティーン向けファッション誌『エムシーシスター』の読者ページに応募したことです。友人と一緒に応募しようと盛り上がったのですが結局、応募したのは私だけ(笑)。でも応募がきっかけで撮影に呼んでもらえることになりました。プロのスタイリストさんやヘアメイクさんにプロモデルのように撮影してもらった写真が雑誌の1ページに大きく2枚掲載されたのですが、それが芸能事務所の目にとまったようです。

 

最初に声をかけてくれた事務所の方は、いろいろなメディアに私の売り込みに行ってくれたのですが、仕事が全然決まらなくて…。結局その事務所に入ることはありませんでした。しばらくして別の芸能事務所から連絡が来たのですが、最初に声をかけてくれた事務所で仕事が決まらなかったのもあり、すっかり自信をなくしていて。「私、ブスなんですけどいいですか?」と思わず言ってしまったんですけど、「とりあえず事務所に来てみなよ」と。事務所が求めていた色と私自身が合ったからか、そこからはトントン拍子に話が進み、その事務所に所属することが決まりました。

 

── すぐにお仕事は決まったのでしょうか?

 

北原さん:いえ。事務所に所属してもすぐに仕事があったわけではなく、3か月はモデルのレッスンを受けていました。ただ、ちょうどそのころ、友人と他校の学園祭に遊びに行ったんです。そこに『週刊ヤングジャンプ』の編集部の人とカメラマンが偶然来ていて「写真を撮らせてほしい」と声をかけられました。すると、その写真が「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれて、グラビアアイドルとしてデビューすることになったんです。ありがたいことに人気が出て、専属でお仕事をいただけるようになりました。

 

女優として活躍する北原佐和子さん
女優として、テレビドラマ、舞台や映画で活躍

── ご両親の反対はありませんでしたか?

 

北原さん:両親は大反対でした。安定志向の両親には、「将来は看護師か教育者か警察官になりなさい」と小さいころから言われてきました。芸能界は想像もしていなかったようで、説得は難しいと感じていました。でも、当時の事務所の担当の方が高校生ながらに会った瞬間からすごく信頼できると感じさせる雰囲気の人で。この人が話せば説得できるのはと思い、まずは母に会ってもらいました。すると母も話を聞いて納得できたようで、母が父を説得してくれたんです。

 

父はデビューまではしぶしぶ…という感じでしたが、ファーストコンサート終了後に父主催の打ち上げを開催してくれたんです。気づいたら親戚中が集まっていて、自慢の娘として応援してくれていました。

毎日同じことの繰り返しに違和感

時代劇に出演する北原佐和子さん
たくさんの時代劇にも出演した

──「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれた年に、アイドルユニット「パンジー」を結成されましたね。

 

北原さん:そうですね。レコードを発売することになったので歌のレッスンに通い始めたのですが、そこで言われたのは「あなた、歌が下手ね」のひと言。その言葉で私自身、初めて気がつきました(笑)。そこからはデビューに向けてひたすら特訓をし、練習曲だった石川ひとみさんの『まちぶせ』は、上手に歌えるようになったと思います。

 

1981年にアイドルユニット「パンジー」としてデビューしてからは本当に忙しくて、3か月に1枚はレコードを発売。18歳でソロになってからも、レコードの発売が決まると歌のレッスン、レコーディング、全国へのイベントまわりで、ずっと仕事に追われる日々でした。迎えにきてくれたマネージャーのインターホンで起き、移動中もずっと寝ていて。それでもステージに立って歌うと、楽しそうなお客様の反応が見えるので、それが何にも替えがたい喜びでした。ステージはまさに魂を揺さぶられるような、忘れられない体験です。

 

── 学業との両立は大変だったのでは?

 

北原さん:通っていた高校は校則が厳しく、水着撮影がNGでした。『週刊ヤングジャンプ』の電車の中吊り広告に出たりしていたので、あるときまではレオタードを着て撮影をしていたんです。でもある日撮影現場に行ったら、水着での撮影だと突然言われて、断りきれずに撮影をしました。ほかの生徒への影響も考慮して、「パンジー」結成前の2年生のときに定時制高校に移ることに。定時制は4年制なのですが、仕事が忙しくなってしまい、結局最後までは通えませんでした。

 

── 学校と仕事を天秤にかけたときに迷いはなかったのでしょうか?

 

北原さん:芸能界に入る前は、毎日同じ制服を着て、同じ通学路を通り、同じ人に会う繰り返しの生活に違和感を感じていたんです。だから芸能の仕事を始めてからは毎日が新鮮で本当に楽しくて。仕事を失いたくない気持ちのほうが大きかったんです。迷いはなく、これからの芸能の仕事ができる希望に溢れていました。