母方の祖父は故・竹下登元総理、弟はミュージシャンでタレントのDAIGOさん、義妹に女優の北川景子さんという華々しい一族を持つ漫画家の影木栄貴さん。祖父に頼らず、自分の力で夢だった漫画家になった経緯やご家族との関係について、お話を聞きました。(全3回中の1回)

公立の学校に通い、ごく普通の家庭に育った

若い頃のお母様と生後間もない影木栄貴さん
若いころのお母さまと生後間もない影木さん

── 影木さんは三きょうだいの長女で、ご自身は、小中学校は公立に通われていたんですよね。

 

影木さん:はい。「先生の言うことはちゃんと聞きなさい。学校は休んじゃいけない」と親から教わってきたので、毎日、学校に行って、校則はちゃんと守るようなまじめな生徒でした。教科書も学校に置いていっちゃいけないと言われていたから、教科書に加えて辞書まで持って帰っていたほど。当時の学校ってスパルタで、給食は残すなと言われていた時代。私は鶏皮が苦手で、鶏肉の竜田揚げがどうしても食べられなくて…みんなが掃除を始めるなか、ひとり机に座って鶏皮とにらみ合ってました。無理やり飲みこんで、トイレで吐き出す…なんてこともありましたね。

 

── それはなかなかハードな…。しかし元総理のお孫さんが公立の小中学校に通われていたというのは意外でした。

 

影木さん:幼稚園から私立に入るような子とは全然、世界が違っていたことが大人になってからわかったんです。私、本当に“普通”を知ってるなって思いました。そりゃあ、幼稚園からエスカレーター式の私立に入れてもらっていたら一番ラクだったかもしれないけど。漫画家という職業を選んだことも含めて、普通の公立の生活を体験したのはすごくよかったと思っています。でもね、次男のDAIGOだけ、中学から私立に行かせてもらったことはちょっと恨んでますけど(笑)。

 

──「総理の孫」ということで、学校で目立つことはありましたか?

 

影木さん:祖父とは苗字が違ったので、言わなければわからなかったようです。祖父が参観日に来るわけでもないし(笑)。バレないという意味で、普通に溶けこめたのでよかったです。有名人の子どもが普通の公立の学校に行ったら、悪目立ちしてしまうだろうし。それを考えると、有名人の子どもは私立に入れてあげたほうがいいんだろうなというのは、今はよくわかります。

 

── 受験されなかったのは、ご両親の教育方針もあったのでしょうか。

 

影木さん:いや、そういうわけでもなく。親友は塾に行って中学受験すると言っていたんですが、当時の私は何も考えてなくて。中学は普通に、公立に行くものっていう考えしかなかったんです。母自身も中学は公立で、高校から私立の学校に行ったので、お受験の知識があんまりなくて、考えが及んでいなかったみたいですね。

両親にBL漫画の創作を反対され「私の魂の叫びなの!」

── その後、大学在学中に出版社で編集のアルバイトをしながら同人活動を始めたそうですね。卒業後はその会社に就職して漫画編集者となり、その後プロの漫画家に。ご自身で道を切り開いてきたわけですが、ご両親から職業に対する反対はありましたか?

 

影木さん:小学校のころから夢は漫画家で、中学時代は時間があればノートに自作漫画を描いていました。ノート漫画は12巻の超大作になって、そのスピンオフが何冊もあったほど。それくらい、家でずっと漫画を描いてたんですよ。そんな子に「漫画を描くな」とは言えませんよね(笑)。ですから、両親は漫画家になること自体には反対してなかったんですけど、BL作品を描くことについては、ひと悶着ありました。

 

漫画家として活躍する影木栄貴さん
漫画家として活躍する影木栄貴さん

──商業誌でプロデビューする以前から、同人誌活動でBLの人気作家になっていたんですよね。

 

影木さん:当時、存命中だった祖父に迷惑がかかるかもと問題になり、母が「BLじゃない漫画だけ描くわけにはいかないの?」と言い出して。「BLは私の魂の叫びなの!BLが描けなかったら、私の心の穴は埋まらない!」と熱く訴えたら、どうにか折れてくれました。その後、両親から「あなたの人生です。あなたの信じる道を生きなさい」と書かれたファックスが送られてきて。最終的には認めてくれたので、理解がある親なんだろうな。学生時代は反抗期もなく、親の言うことを守る子だったので、漫画家になってから両親に「不良」と言われるようになりましたけど(笑)。

 

── デビューした当初は「総理の孫」ということは隠していたとか。

 

影木さん:私が1996年に漫画家デビューして、祖父が亡くなったのが2000年なのですが、その4年間、祖父はメディアで「黒幕のドン」と言われていてイメージも悪く。なので「竹下登の孫」と言われるのは、ちょっと肩身が狭いなぁ…というのはありました。祖父とはまったく関係なく、同人誌のジャンルで売れるようになり、普通に商業紙でデビューして、単行本を出せば重版がかかるくらいの売れっ子になれたばかりの時期に、週刊誌で私が孫だと報じられてしまって。それもあって、当時はネットで悪口を書かれることが結構、多かったです。

 

── そうだったんですね…。その後、2008年にDAIGOさんがブレイクしたことで状況が変わったのでしょうか?

 

影木さん:DAIGOが「フィーチャリングおじいちゃん」といってブレイクしたのをきっかけに、私もDAIGOと一緒にテレビに出るようになって(笑)。それで私も、コミックエッセイ『エイキエイキのぶっちゃけ隊!!』で祖父のエピソードを公表したんです。そうしたら、それ以降はあまり悪口を言われなくなりました。誰かがネットに嘘を書いても、「それは嘘だよ」って訂正してくれる人が現れるようになって。

 

“竹下総理の孫で顔の見えない漫画家”となると、やっぱりダーティなイメージを持つ人が多かったと思うんです。でも、テレビで顔を出して、漫画で孫エピソードをおもしろおかしく伝えたら、そうじゃないんだってわかってもらえました。

 

── オープンにしてよかったと。

 

影木さん:そうですね。祖父は政治オタクで変人でしたけど、私にとってはごく普通のおじいちゃんで。最近、トランプ前大統領のお孫さんが、「私にとっては普通のおじいちゃん」って言ってましたけど、それは私が30年前に言っていましたから(笑)。今となっては竹下登を知っている若い人が減ってきて、昔は「孫」だったけど、今は「姉」って言われてます。世間的には弟のほうが有名になったんでしょうね(笑)。