「4年間封印していたネタ」を天野さんがほめてくれて
──『THE W』でポールダンスのネタをしようと思った理由は何だったのでしょうか?
ステテコさん:もちろん、ほかのネタよりもウケるネタだったからなんですが、ポールダンスのネタをしようと思ったきっかけは、キャイ~ンの天野ひろゆきさんのひと言だったんです。このネタは『THE W』が始まる4年ほど前に作ったネタで、当初はライブでけっこうウケていたんですが、調子にのって小ネタを量産していくうちに、だんだんウケなくなって、1年後から封印していたんです。
『THE W』が始まる1年くらい前に、ある収録現場の楽屋で偶然お会いした天野さんから「ポールダンスのネタはおもしろいから、もっとやったほうがいい」と言われたので、復活させました。あのとき天野さんのアドバイスがなかったら、『THE W』もボロボロだったかもしれません。
──『THE W』後の生活は、どのように変わりましたか?
ステテコさん:それまで、ほとんどなかった営業の仕事が少しだけ入るようになりましたし、街中で声をかけられるようにもなりました。仕事が増えたおかげでシフトが入れられなくなり、バイトも卒業しました。ようやく、お笑いだけで生活できるようになったんですが、この生活はそんなに長くは続きませんでした。
私は、ネタや芸風にあまり安定感がなく、いわゆる実力派ではないので、営業の本数が徐々に減っていきました。そこにコロナもやってきて、ライブと営業が一気になくなってしまって。芸人の収入が徐々に減っていき、1年ほど経つころには、ほぼ収入がなくなってしまったので、ウーバーイーツの仕事を始めました。
コロナで仕事がなくなりウーバーイーツ始めました
── ウーバーイーツはどのくらい続けたのですか?
ステテコさん:2年くらいです。最初は、自転車に乗るから体を動かせるし、お金も儲けられるくらいに思っていました。ただ、東京は坂道が多くて体力的にキツイので、稼働時間は2~3時間くらい。ちょっとしたおこづかい稼ぎという額なので、もうひとつバイトをしようと考えているときに、かもめんたるの槙尾ユウスケさんがカレー屋「三軒茶屋カリガリ マキオカリー」をオープンして、スタッフを募集していると知りました。槙尾さんとはライブで一緒になったときに挨拶をするくらいだったので、知り合いの芸人を通じて紹介してもらい、バイトをすることに。
槙尾さんはめちゃくちゃやさしい方です。バイトをはじめた当初、お米を炊くときに水の分量を間違えて大量のおかゆを作ってしまったことがあるんですが、槙尾さんは「次からは気をつけましょうね」と言ってくれました。そんなやさしさに溢れたバイト先なんで、やめたいと思ったことは一度もありません。
── 今後、テレビ出演が増えたりして、バイトをする必要がなくなったとしてもですか?
ステテコさん:はい。できれば、マキオカリー週2日、テレビの仕事が週3の週休2日制で働ければ最高ですね。
PROFILE 牧野ステテコさん
まきの・すててこ。富山県出身。大学卒業後に、テレビ番組の制作会社へ入社。ADを経て芸人に転身。一度見たら忘れられない圧倒的なビジュアルが武器。アクティブな性格でアウトドア派、登山とロードバイクが一番の趣味。かもめんたる槙尾さんが経営する「三軒茶屋カリガリ マキオカリー」でアルバイト中。
取材・文/安倍川モチ子 画像提供/牧野ステテコ(浅井企画)