アナウンサーになるのも、芸人へ転身するのも、ボディコンテストに出場するのも、気づけば没頭していた小林アナさん。始めたことはとことん突き詰めるタイプで、そこには代償もあったと言います。没入してきたこれまでの人生を振り返ってもらいました。(全3回中の3回)

103社受け、ようやく念願のアナウンサーに

── 小林アナさんはもともと「新潟テレビ21」のアナウンサーだったそうですね。アナウンサーになろうと思ったのはなぜでしょうか?

 

小林アナさん:もともと目立ちたがり屋なところがあって、人前に出るのが好きだったんです。ちょうど学生時代、女子アナブームがありました。芸能人みたいに活躍するアナウンサーを見て「私もあの華やかな仕事をしたい!」と、ミーハーな理由からアナウンサーを志すことにしました。大学2年生からアナウンサースクールにも通ったんです。就職活動が始まり、キー局や地方局などのアナウンサー職に次々と応募したのですが、まったく合格しなくて…。当時、アナウンサー職は書類審査が通って面接になると、現地に行く必要がありました。だから、就活で全国を駆け回っていました。

 

私は一度目標を定めると、他が見えなくなるんです。アナウンサー以外の進路はまったく考えられませんでした。大学を卒業しても就職が決まらず、フリーターをしながら就活を続けました。全部で103社くらい受けて、卒業した年の秋にようやく「新潟テレビ21」のアナウンサー職の内定をもらえました。新潟は知り合いも親戚もいない土地でしたが、内定をもらえてすごく嬉しかったです。

アナウンサーから転身のきっかけは意外なあの人

── アナウンサーからお笑い芸人になったのも、意外なキャリアチェンジですね。

 

小林アナさん:私自身は、そこまで大きな転身とは思っていなかったんです。アナウンサー時代もバラエティ中心に出演していて、身体を張る仕事は私が担当みたいな感じでした。

 

お笑いに魅力を感じるきっかけになったのは、元プロ野球選手のパンチ佐藤さんとご一緒したロケでした。そのときのパンチ佐藤さんのリアクションが激しくて、ものすごくおもしろかったんです。私はアナウンサーだったから、本来であればパンチ佐藤さんを立てないといけません。でも、「パンチさんのリアクションに負けたくない。私ももっとおもしろくなりたい」とメラメラと燃え上がるものを感じました(笑)。私が本当にやりたかったことは、リアクション芸だけで人を笑わせられるお笑い芸人だ!と思ったんです。

 

パンチ佐藤さんを見て一念発起し、お笑い芸人の道へ

でも、100社以上受けてようやくアナウンサーになったのに、すぐに辞めるのも違う気がしたんです。そこで、最低でも3年は勤めてから今後を考えることにしました。3年経ち、やっぱりアナウンサーは私が求めているものとは方向性が違うと感じたのと、社内恋愛でちょっと失敗したので、改めて自分のやりたいことを考えました。そうしたら、やっぱり一番に思い浮かぶのはお笑い芸人でした。人を笑わせているところを想像するとワクワクするんですよ。思いきって挑戦してみようと思い、会社を退職し、お笑い芸人を目指して上京することにしました。