酸素ボンベを持ってスキーを私の母が娘に教えてくれた

── スキーには、心の成長をうながす効果が大きいのですね。

 

森さん:ほかにもスキーをした子は「何事も前向きに捉える」「コミュニケーション能力が高い」「他人に思いやりを持てる」といった特徴があります。思い返してみると、娘は小さいころから人見知りをせず、誰に対しても愛想がいい子でした。

 

── ちなみに、未瑠加さんがスキーをはじめたのは何歳のころですか?

 

森さん:4歳です。このころから(一財)東京都スキー連盟理事を務めており、私が出張で1週間ほど家を空けることになったので、長野にいる両親に娘を預けました。そして出張を終えて帰って来たときに、娘が「スキーができるようになった」と聞かされました。それまでも、何度も母と「みるかもスキー滑れるようになったらいいね」とよく話していました。両親は、日本初の子ども専門スキースクールを40年経営しています。どんなお子さんにもスキーを教え滑らせるようにするプロフェッショナルで、ハンディキャップを持つ子どもたちも教えてきた実績があります。スキー指導が上手いのはもちろんですが、子どもの状態の変化にも敏感で丁寧なので「母が教えるのなら間違いないだろう」とまかせていました。

 

そして実際に私が不在の間に、娘の体調がよく、天候にも恵まれた日があり、娘が「やってみたい!」ということで、スキーをしたようです。娘の前方1〜2メートルくらいの距離で酸素ボンベを持ちながら、後ろ向きにすべるという方法で。母のプロとして、スキーを教える熱量に驚きましたが、たった1~2日で滑れるようになった娘にも驚きました。

 

── 病気を抱えているとは思えないほど活発なんですね。

 

森さん:本当に。私は生まれたときからスキー一色の生活だったのですが、娘が生まれてからは一気に世界が広がったというか。24時間テレビの出演をはじめ、肺高血圧症の患者会や数々のチャリティーイベントへの参加など、スキー関係者以外のさまざまな方との出会いやご縁をいただくようになりました。そして、たくさんの方々に私たち親子は助けられてきました。

自分のからに閉じこもっている家庭を見てきたから

── 現在は、公益財団法人全日本スキー連盟の理事をされています。ほかにはどんな活動をされているのですか?

 

森さん:ひとつは、母校の青山学院大学の体育会スキー部のコーチです。この春からは、「最先端な究極の英才教育」で知られているヒーロー幼児園で仕事もはじめました。いまは各クラスの補助をしていますが、私がスキーで培ってきた「非認知能力」や「子どもたちの可能性を伸ばす」というコンセプトに非常に可能性と共感をもち、楽しくお仕事させていただいています。今後は、子どものみならず、保護者の方のメンタルでのサポートができるようになればと思っています。

 

── ほかにも、ハンディキャップを持つお子様のいるご家族のケアにも興味があると聞きました。

 

森さん:はい。今は表立った活動はしていませんが、これまでに受けたたくさんのサポートや応援へのお返しという意味もこめて、私たち親子と同じような方々に寄り添った活動をしたいと思っています。というのも、これまでに参加した患者会などで、まわりの目を気にしたり、引け目を感じたり、自分の殻に閉じこもってしまうご家庭を何組も見てきました。ハンディキャップを持つ子どもがいることはデリケートな問題なので、ご家族の気持ちもわかるのですが、意外と本人は引け目などを感じずに、一生懸命生きようとしていたりします。だから、ご家族も堂々としていてもいいと思うのです。

 

裏方に回って、その子の生きるステージの準備をしてあげて、堂々とやりたいことをやらせてあげたほうが、きっと家族全員が明るく楽しい毎日を過ごせるのではないでしょうか。私は、そう思えるヒントをスキーからたくさん学びました。スキーを通して学んだ、新しい考え方やモノの見方を、ハンディキャップを持つ子どものいるご家族にもシェアしていけたらうれしいと思っています。

 

PROFILE  森 幸さん

もり・ゆき。東京都出身。アルペンスキー元日本代表。元全日本スキーデモンストレーター。 東京都スキー連盟副会長、日本障害者全日本スキー連盟理事を経て、現在は全日本スキー連盟理事・日本トライアスロン連合理事などを務めるかたわら、青山学院大学の体育会スキー部のコーチにも注力している。国の指定難病である肺高血圧症を抱える、娘の未瑠加(みるか)さんとの日常の一コマをインスタグラムに投稿している。

 

取材・文/安倍川モチ子 画像提供/森幸