高層ビルやタワーの階段を駆け上がる「ステアクライミング」の国内女王である立石ゆう子さん。産後4か月でレースに復帰し、シングルマザーとして子育てと仕事、競技を両立してきました。世界一を目指す母のモチベーションを変えた、3歳の息子さんの“ひと言”とは── 。(全2回中2回目)
産後4か月、山岳マラソンの日本代表として復帰
── 立石さんは2021年3月に第一子を出産し、その4か月後、山岳競技の世界選手権に日本代表として出場しています。妊娠がわかった段階で競技復帰するつもりだったのでしょうか?
立石さん:2018、2019年と世界シリーズ戦を回っていたとき、出産後もトップで活躍している選手や、子連れでレースに来ている家族をたくさん目にして、「ママでも競技を続けられるんだ!」とすごく印象に残っていたんです。当時、日本ではいわゆる“ママさんアスリート”って数えるほどしかいなかったのですが、海外ではそんな特別なことではないんだなって。まだ結婚もしていなかったのに「いつかこうなりたいな」という憧れはありましたね。
── とはいえ、産後4か月で競技復帰するまでの道のりは、そうとう大変だったのでは…?
立石さん:産後はまず歩くことから始めて、1か月を過ぎた頃から少しずつ走り始めました。トレーナーさんと相談しながら、本番から逆算してメニューを立てて、「この時期までにこの練習をクリアする」という目標を細かく設定していたのですが、本当に間に合うのか…という不安とは常に隣り合わせでしたね。お腹の筋肉が伸びきった状態だったので、走ると今までにない変な痛みが出てきて、感じたことのない不調にも悩みました。ただ、実際にしんどかったのは、身体面より精神面だったと思います。
── 産後の立石さんにとって精神的につらかったこととは?
立石さん:実は世界選手権の前に離婚の話が出てきて、かなり情緒不安定になっていました。世界選手権は60キロのレースだったので、それなりに長い練習が必要だったのですが、子どもにも会いたいし、精神的にもつらいしで泣きながら走っていたのを覚えています。今はもう笑って話せるのですが、当時は本当にしんどかったですね…。でもある意味、練習に行くことが気分転換になっていたのかもしれません。世界選手権に出ると決めたのは自分だし、「こんなところで気持ちが折れている場合じゃない」と段々と思うようになりました。
── それは大変でしたね…。復帰レースとなった世界選手権自体はどうだったのでしょう?
立石さん:入賞争いには絡めなかったのですが、それなりの順位で完走できてホッとしましたね。それと同時に、同世代の選手が入賞したのを見て「悔しいな」という気持ちも湧き上がってきて。出産前は階段競技と山岳競技を両立していたのですが、山岳はレース距離が長いぶん、練習でも長時間走り込まなければいけない。今まではプライベートな時間を競技に費やせたけれど、子どもが生まれたらそういうわけにはいきませんよね。それで比較的距離が短い階段競技に専念して、トップレベルを目指そうと思ったんです。