継母からいじめにあい「早く自立しないとダメだ」

── そもそもアナウンサーを目指されたのは、なぜだったのでしょう?

 

今井さん:子どものころから、“自分で稼いで早く自立しなければ”という強烈な思いがありました。これは、育った環境が大きく影響しています。戦争で父が満州に行っている間に母が亡くなり、7歳で孤児になりました。ですが、親戚の誰にも引き取ってもらえず、知らない土地で旅館の従業員部屋に入れられていたことも。その後、戦争から戻った父が再婚し、継母ができたのですが、執拗にいじめ抜かれ、つらく寂しい少女時代をおくりました。ですから、とにかく早く家を出たかったんですね。

 

当時、女性が自立して稼げる数少ない仕事のひとつが局アナでした。子どものころはまだ真空管ラジオの時代でしたが、番組の合間にナレーションを読むアナウンサーに憧れて。アナウンサー志望の人は、学校に入ったら放送研究会に入るのがお約束でしたが、私は枠にはめられるのがあまり好きではなかったので、立教大学の合唱団に所属。そこで発声や表現力を磨き、そのおかげかどうかわかりませんが、TBSに合格しました。

 

TBS『赤ちゃんショー』にて。今井登茂子さん(写真左)
TBS『赤ちゃんショー』にて。テーマソングを一緒に歌う場面も

── アナウンサーとしてさまざまな体験をされてきたと思いますが、思い出に残っているインタビューはありますか?

 

今井さん:当時は男性の司会者の横でニッコリ微笑んで相づちを打つことが、女性アナウンサーに求められている役割でした。でも、私はそんなタイプじゃないから、つい気の利いたひと言を返そうとしちゃう。それが目障りだったのでしょう。番組を何度も降ろされました。でも、だんだん「あいつはひとりでやらせとけばいい仕事する」と言われ、いろんなインタビューに行かせてもらえるようになったんです。なかでも忘れられないのが、大相撲の第47代横綱・柏戸を支度部屋でインタビューしたときのことです。

 

── 大相撲の支度部屋に女性アナウンサーが入るのって…。

 

今井さん:初めてでしょうね。支度部屋は力士たちが着替える場所でもあるので、みんな素っ裸。大柄な裸の男たちに囲まれ、しかも、取材相手の柏戸があまりに素敵だったので、思わずボーッとなっちゃって(笑)。当の柏戸も、まさか女性が来るとは思わなかったのでしょう。お互い、沈黙すると気恥ずかしいものだから、必死にしゃべったんです。でも、ふだんすごく無口な柏戸がたくさん取材に答えてくれたものだから、「今井さんはインタビューが上手い」と評判に。なんてことはない、しゃべらないと気まずい雰囲気だっただけなんです(笑)。

「スクープ映像」を撮ったのに上司から怒られた訳

── 新人時代からディープな経験を(笑)。

 

今井さん:入社2か月目には、こんな貴重な経験もしました。スポーツ中継の自主練をしようと、仕事帰りに国立競技場の神宮のプールで競技会の様子を見学していたら、偶然、目の前で女子背泳ぎの田中聡子選手(1960年のローマオリンピック女子100m背泳ぎの銅 メダリスト)が、日本記録を出したんです。

 

あわてて、当時の録音機“デンスケ”で、つたないながらも必死にレポート。デンスケは15分しか持たないから、何度もつないで録音しました。さらに、興奮気味の田中選手を更衣室まで追っかけ、話を聞くことに成功。その後、話を聞きつけた各局の記者がどんどん集まりだし、ようやくお立ち台ができて会見がスタートしました。ところが、ここからが大変で…。

 

── いったいなにがあったのですか?

 

今井さん:NHKが私のことを自社のアナウンサーだと勘違いして、会見での私の数十秒間のインタビューをおそらくNHKで放送したんですね。マスコミ間のルールでこれはタブー。どうやら私が報道協定のルールに反してインタビューしていたらしいのですが、新人だったこともあり、マスコミのルールをよくわかっていませんでした。当然、上司はカンカン。褒められると思っていたのに大目玉を食らい、悔しくてトイレで泣きました。

 

ただ、反省はしたけれど後悔はしていません。もし私が勉強のためにあの日あの場に行かなければ、貴重な瞬間が世に残らなかったわけですから。後に、『放送メディア入門』(社会評論社)という本にも、女性スポーツアナウンサーの第一号として、私の名前が載っていましたしね。

 

── ポジティブな考え方ですね。

 

今井さん:ただ、こういう性格なので、「あいつは生意気だ」と、影で散々悪口を言われたり、足を引っ張ろうとする人たちも少なからずいました。「あいつとデキてる」とか、根も葉もないウワサを立てられて困り果て、誤解を解くために、部長会議に乗り込んで説明したこともありました。嫉妬って女の人のものかと思っていたけれど、そんなことはない。男性の嫉妬ってこんなに凄まじいんだなと知りました。いまでは考えられないようなセクハラやパワハラが横行していた時代ですから、理不尽な思いもたくさん経験しましたが、いま思えば、そうした悔しさもすべて前に進むエネルギーになっていた気がします。

 

PROFILE  今井登茂子さん

1937年、東京生まれ。立教大学文学部卒業。1959年、TBS入社。音楽、情報、報道、スポーツなど、多岐にわたる番組を担当。 初代お天気お姉さんとして人気を集め、視聴率40%を記録。1988年、放送貢献者に贈られる「ゴールデンマイク賞」を受賞。1987年に人材教育「とも子塾」を設立。「会話力は人間力」という明快なテーマを軸に、実践的かつ科学的な理論に裏付けられたメソッドを構築。受講者はのべ3万人を超えている。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/今井登茂子