長男の高校入学で始めた3人分のお弁当作り

── お子さん3人のお弁当を作っていた時期があったそうですね。

 

笠原さん:運動会とか、行事の際の弁当は必ず作るようにしていたけど、どんどん仕事が忙しくなっちゃって、家のことがおざなりになってきた。長男が高校に行くときに、「もう弁当を作るのもこれで最後なんだな」と思ったら、なんか急にやってやろうと思ってね。長男の高校3年間の弁当は毎日作った。長女は社会人で、次女は大学生だったんだけど、弁当って1つ作るのも3つ作るのも一緒だから、「もしいるなら作るよ」と聞いたら、「いる」とことだったんで毎朝3つずつ作ってましたよ。

 

笠原将弘さん
「賛否両論」の店内で行ったインタビュー

── お弁当の反応はいかがでしたか。

 

笠原さん:娘たちはやっぱり、美味しいって。でもね、長男は好き嫌いが多いし、ガキだからわりかしいろいろ言ってくるんだよね。野菜もこっちはよかれと思って入れてるのに、「野菜は好きじゃない」とかさ。今のような時期に、うなぎを入れてやったらそれも気に入らないらしい。俺はご飯の上におかずがのっけてあって、味が染みたようなのが好きなんだけど、長男はおかずとご飯が混ざるのが嫌なんだと。だからおかずはカップに入れてくれとかね。手羽先を入れたときは、食べる時に手が汚れるとも言われた。長男には、「お前、めんどくせぇな!」とよく言ってましたね(笑)。

 

── (笑)。それも楽しいコミュニケーションにも見えます。お弁当の感想は直接言われるんですか?

 

笠原さん:俺は帰るのも遅くて子どもたちと生活リズムが違うから、弁当の感想はグループLINEで。家族のLINEがあって、あれは便利だね。長女は食べているところの写真を撮って送ってくれて、嬉しかった。長男は、言い方はムカつくけど、「笠原のお父さんが作ったんだから美味しいだろ」って言って仲のいい友達に全部食べられちゃったということも言ってましたね。

 

── さぞかし美味しいお弁当なんでしょうね。

 

笠原さん:それが、そんなにおしゃれなやつじゃなくて、本当にごく普通の弁当でしたよ。ウインナーとかも入れて。そういう方が子どもには喜ばれるからね(笑)。

 

── 家族それぞれ別なところにいても同じものをいただくって素敵ですね。

 

笠原さん:どんなに遅くに帰ってきても、朝弁当を作っているときだけは、子どもたちのことを考える時間だった。「どんな友達と食ってんだろうな」とか、「そろそろ彼氏できたのかな」とかね。振り返ってもいい時間だったと思いますよ。

 

笠原将弘さん

 

── お子さんと、恋愛の話もされるんですか?

 

笠原さん:うちは結構します。娘が高校生の時に「彼氏できたら言えよ」って話はしていたんで、一応、子どもたちから報告があるんです。

 

── 多感な時期に、父親に打ち明けるとは仲のよさが伝わってきますね。

 

笠原さん:うちはカミさんが亡くなってるから俺に言うっていうのもあるんじゃないかな。反抗しようにもあんまり俺が家にいないもんだから、「すごい反抗期が来たぞ」って感じは誰もなかった。でも長女は、高校生のときに彼氏ができてから門限を破るようになって。長女とは門限のことでちょっと言い合いになるようなことはあったけど、次女と長男はそんな感じはなかったな。

 

── やはり、父親としては心配で。

 

笠原さん:まだ当時は高校生だから門限のことは言ったけど、俺はどっちかっていうと、子どもたちは小さい時に母親を亡くして寂しい思いをしているだろうから、できる限り楽しい人生を送ってほしいって思ってるんだよね。

 

恋愛もそうだけど、彼氏や彼女ができたら、守ってくれる存在がいるって安心だなって気持ちがある。よっぽどひどいやつじゃなければ、結婚も早くていいと思うし、孫の顔というのも見てみたい。だから、子どもたちにはそういう存在がいてくれたらいいなと思いますよ。

 

PROFILE 笠原将弘さん

1972年、東京生まれ。焼鳥店を営む両親の背中を見て育ち、幼少期からさまざまなセンス、技、味覚を鍛えられる。高校卒業後、「正月屋吉兆」で9年間修業後、実家の焼鳥店を継ぐ。店の30周年を機にいったん店を閉め、2004年9月、恵比寿に自身の店「賛否両論」を開店。私生活では、ビールをこよなく愛する3児の父。

 

取材・文/内橋明日香 撮影/CHANTO WEB NEWS 写真提供/笠原将弘