東京都板橋区にある中華料理店「丸鶴」で中華鍋を振り続ける父に、ずっと反発していたと話す元カリスマホスト・城咲仁さん(46)。しかし、父の味を守るため、26年の時を経て父の元で修行を開始。不惑を超えて、両親への溢れる思いがありました。(全4回中の4回)
「父の味を残したい」その一心で26年ぶり修行
── 城咲さんは18歳のとき、実家の中華料理屋「丸鶴」でお父様に無理やり修行をさせられ、ケンカをして家を飛び出したと伺いました。26年経って改めて「丸鶴」で修行されたそうですが、なぜでしょうか?
城咲さん:シンプルに、親父の味を残したいと思ったんです。親父は高齢だから、僕が店を手伝うことがあったんです。そのときに、ひとりで来店されたお客様が、親父のチャーハンをひと口食べたとたん「うまっ!」と言って、夢中で食べていたのが忘れられません。
ひとりで外食中、思わず感嘆の声が出てしまうことって、なかなかないじゃないですか。それだけ人の気持ちを揺さぶる料理を、親父の代で終わらせたくないと思いました。
とはいえ、僕も他の仕事をしているので、毎日店に立って鍋を振るわけにもいきません。だから、できる限り親父の味を再現した冷凍チャーハンを作り、販売しようと思いました。
── その話を城咲さんから聞いたとき、お父さんはなんと言われましたか?
城咲さん:「俺からレシピを聞いて作るだけだったらダメだ」とあっさり却下されました。「チャーシューの漬け込み方にもこだわりがあるし、醤油ダレも市販のものでは味を再現できない。お前が俺と同じようにチャーハンを作れるようになって、工場で作り方を説明できるようにするべきだ。そうしたら商品化を許可する」と言われました。
若いときだったら反発していたかもしれません。でも、年齢を重ねたいまは「親父の言う通りだな」と素直に聞けました。
僕自身も、テレビショッピングの商品は自分で納得したものしか紹介したくないし、徹底的にこだわりたいんです。やっぱり職人気質の親父に似ているんですよね。だから26年ぶりに親父のもとで、チャーハン作りの修行をすることになりました。