入社2か月でナンバーワンのホストになり、一世を風靡した城咲仁さん(46)。仲間の死や父親への反発から、飛び込んだ世界でした。きらびやかな世界での地道な歩みが頂点へ上りつめる方法だったといいます。(全4回中の1回)
父親に「腐ったな」と言われて歌舞伎町へ
── 城咲さんは1999年ごろ、歌舞伎町ナンバーワンホストとして一躍有名になりました。どのような経緯でホストになったのでしょうか?
城咲さん:僕の実家は東京都板橋区にある「丸鶴」という中華料理屋です。僕をあと継ぎにしようと、親父に無理やり修行をさせられました。でも「あとを継ぐつもりはない」と大げんかをして、家を飛び出したんです。
その後、飲食店でバイトをしてひとり暮らしをしていました。ところが趣味で組んでいたバンドのメンバーのひとりがみずから命を絶ってしまって…。ショックで何も手につかなくなり、21歳で実家に戻ることに。半年くらい何も手がつかなかったです。親父は事情を何も知らなかったのですが、魂が抜けたような僕に対して、ひと言「腐ったな」と言ったのです。
その言葉がガツンと響き、闘争心に火がつきました。気づいたらスーツを着て新宿歌舞伎町のホストクラブ「クラブ愛」の前に立っていました。親父を見返すためにホストとして働き、トップになろうと思ったんです。
── 行動力がすごいですね。それまでにホストクラブへ行ったことはあったのですか?
城咲さん:20歳になったとき、バイト先の常連さんが「クラブ愛」に連れて行ってくれたんです。そのとき担当してくれたホストが、年下の僕にも丁寧な接客をしてくれました。もともと僕は「ホストはチャラい」と思っていて、あまりいい印象を抱いていませんでした。でも「ホストってこんなに紳士的でかっこいいんだ」と、イメージがガラリと変わりました。
それに、ホストは頑張っただけ収入が上がります。飲食店のバイトをしていたときは電気やガスを止められるくらいお金に困っていて。だからホスト業界で高収入を得ようとも意気込んでいました。
僕が働かせてもらおうと「クラブ愛」に行ったとき、たまたますごく忙しい日だったんです。面接を受ける前なのに「ちょっと手伝って」と言われ、接客することに。飲食店でバーテンダー経験があったので、初日からでも仕事ができたんです。それで、そのまま働くことになりました。
「毎日4時間半」歌舞伎町を歩き回って
── そこからホストとしての城咲さんの人生が始まるわけですね。ナンバーワンホストになるまでに、どんな努力をしましたか?
城咲さん:もともと凝り性で、「一度始めたことは極めたい」と思うタイプです。だから絶対にナンバーワンになろうと思いました。最初は自分のお客様もいないので、毎日4時間半、歌舞伎町を歩き回り、いろんな人に名刺を配りまくっていました。すると、どんどんお客様が来てくださるんです。おかげで入社して2か月でナンバーワンになりました。
ホストになってからは、お客様に喜んでいただくにはどうしたらいいかをつねに考えていました。お客様が「あのお店のラーメン食べたいな」と、ポロッと言えば土鍋を持って、そっと買いに行ったこともあります。
── それはお客様も驚かれるのではないでしょうか?
城咲さん:そうなんです。お客様にラーメンを差し出したら「これ、どうしたの?」と、驚かれました。「さっき食べたいって言うから買ってきたんだよ」と言うと、本当に喜ばれました。
ホストとは、細やかなサービスでお客様に満足していただく職業です。ときどき「原価の安い酒や無料の水に対し、高い料金を払わせるなんてとんでもない」と言う人がいますが、それは違います。「原価の安い酒や水が高額なのも納得できるくらい、素晴らしいサービスを提供してくれる」と思っていただくのがホストの仕事なんです。
だからホストだったころは、お客様に現実を忘れ、楽しんでいただけるように心がけていました。一流のスーツや靴を身に着け、髪型もきちんと整えて、店中をきれいに清掃していたんです。日々の出来事やお客様が言ったことをすべてメモし、次に来店されたときはどんなことを話そうか、いつも考えていました。
同時に、一緒に仕事をする同僚や先輩たちにも気を配っていました。入社してすぐトップホストになりましたが、先輩にはきちんとあいさつ、本来はヘルプの仕事である灰皿の掃除やウーロンハイ作りなども率先して行いました。一緒に働く仲間とギスギスすると、お客様にも伝わってしまいます。歩調を合わせる大切さも感じていました。
── 6年間、ナンバーワンホストとして活躍し、年収1億円だったこともあったそうですね。なぜホストを引退しようと思ったのでしょうか?
城咲さん:27歳になり、将来のことを考え始めていました。おそらく、あと数年は順調だろうと。でも、このまま30代を超えてもホストクラブにいる自分を想像したら、カッコ悪かったんです。気づいたら「城咲仁がいつの間にか下り坂を歩いている」となったら嫌だなと思って。
やっぱり世間は「いま旬の人、ナンバーワンの人」に興味があるんですよ。だから、絶頂期に辞めようと決めました。すると周囲も「どうして何億も稼いでいる人が突然辞めるんだろう」と興味を抱いてくれるんです。そこから芸能界に転向したのは、いい選択だったと感じます。