2児の母になってから飛び込み競技の復帰をした馬淵優佳さん。栃木に単身赴任し、東京と栃木の往復で子どもに会うのは週2日だったと言います。(全4回中の3回)

長女が3歳、次女が1歳のときに競技復帰して

馬淵優佳

── 2017年に競泳の瀬戸大也さんと結婚して同年に引退。2018年に第1子、2020年に第2子を出産されています。

 

馬淵さん:長女が1歳10か月の時に次女が産まれました。出産後は長女がちょうど歩き始めて活発になり始めたころで、赤ちゃん返りもあったので、大変でしたね。次女が泣いて抱っこすると、長女が「私も抱っこして~」って。

 

最初はふたり同時に泣かれるたびに焦りましたが、下の子をちょっと泣かせて様子を見ながら上の子をケアするようにしていました。寂しい気持ちがすごく伝わってきたので。

 

── 子育てで奮闘するなか、2021年末に競技に電撃復帰されます。娘さんたちは3歳と1歳半でした。

 

馬淵さん:家族に復帰について初めて話したときは驚きつつも、自分の気持ちを伝えたら「それならやってみなよ!」と夫も賛成してくれました。でも、一番の不安はもちろん子どものこと。

 

復帰を公表したときの周りの反応も本当にいろいろで…。でも、お子さんが生まれてまた何かにチャレンジしたいと思っている方とか、同じような境遇の方から「パワーをもらいました」とか、そういうありがたいお言葉もいただけて、背中を押してもらえました。

 

大変ありがたいことに家族が協力をしてくれて、家族は東京近郊に残り、私だけ練習環境が整っている栃木県に拠点を移しました。

 

── 娘さんたちとはどのくらいの頻度で会えていましたか?

 

馬淵さん:電話は毎日していましたが、直接会えるのは基本的に月曜日と水曜日の週2回でした。土日も練習があるので、日曜日に練習が終わったら車を1時間半、運転して子どもたちの元へ帰って月曜日は一緒に過ごし、火曜日の朝7時くらいにまた家を出て練習へ。水曜日は午前中に練習をしたらその足で子どもたちの元へ向かい、翌朝また出発するのが基本のルーティーンでした。

 

── 娘さんたちには、なかなか会えないその状況をどのようにお話ししていましたか?

 

馬淵さん:最初の頃は「寂しい」「行かないで」と大泣きされ、後ろ髪を引かれるような思いになり胸が苦しかったです。でも「ママはこういうことをやっているんだよ」と何度もしっかり説明したらだんだんと理解してくれるように。「あと何回寝たら帰るからね。頑張ってくるね」と伝えて、いつも子どもたちの家を後にしていました。

 

また、毎日電話もしていましたし、シーズン終わりとかちょっと練習が落ち着いたときには、積極的にプールへ連れていき、自分が普段どんなことをやっているか見せるように意識しました。

 

── 一緒にプールに入ったりしたことも?

 

馬淵さん:プールにあるトランポリンとかマットの上で遊んだり、ちょっとやってみる?なんて、飛び込みにチャレンジさせたり。「指先!」とか「つま先もっと綺麗にして!」とかついつい口出ししちゃうので、周りにも「選手にさせるつもりなの?」と言われることも(笑)。

 

でも、言うとけっこうピシってしてくれるんですよ。興味はあるみたいで嬉しいです。ただ「一緒に飛び込み競技やる?」と聞くと断られます。遊びでやるのはいいけれど、ちゃんと毎日練習するのは嫌みたい。

 

私はもともと、父に連れられてプールに来ていたのですが、それが今では自分が娘たちを連れて来られるように。そこまで選手を続けられたことがすごく嬉しいなと思いました。子どもたちを見ていると、私は当時の記憶はないけど、父もきっとこうやって楽しくやらせてくれていたのかなと思うと、感慨深いものがありますね。

 

── ご家族の協力はありましたが、以前のようにすべての時間を競技に費やすことは難しかったと思います。工夫したことはありますか?

 

馬淵さん:以前と比べて隙間時間の過ごし方をすごく考えるようになりました。子どもたちのもとに帰っているときも、家事などをするなかでトレーニングは欠かさず行う必要があるのですが、トレーナーさんに事情を説明してオンラインで対応をしていただきました。

 

そこに子どもたちも巻き込んで一緒にトレーニングをしたりとか、できることを常に模索していましたね。トレーニングは子どもも楽しんでくれるし、けっこう厳しくて「もうちょっとこうしたほうがいいんじゃない」とか言われることも(笑)。

 

── ハードな生活だったかと思います。途中で心が折れそうになったり、迷いが生じたことはありませんでしたか?

 

馬淵さん:それはなかったですね、1度も。自分でやると決めたことだったので、最後までやり遂げようと思って。パリオリンピックに出場できるチャンスがある限りは精一杯続けました。

 

何より私の試合を見に来た子どもたちから「一番じゃない!」と怒られたり、「もっとこうしたほうがきれいだと思う」って言われたり、誰よりも一番娘たちに喝を入れてもらいました。それがやっぱりパワーになりました。