22歳で飛び込み競技を引退し、2児を出産した馬淵優佳さん。4年のブランクを経て再び競技と向き合うことを選びましたが、体の変化に戸惑いも少なくありませんでした。(全4回中の2回)

恵まれた環境にいたのに…

馬淵優佳
2022年8月の日本選手権女子1m飛板飛び込みで優勝したとき

── 2017年に1度目の選手生活を終えたときには「飛び込み競技を早く辞めたかった」と明かしていました。

 

馬淵さん:そもそも飛び込み競技を始めたきっかけが、父がコーチだったからその流れでというだけだったので、競技を好きか嫌いかも考えることなく続けていたんです。

 

もちろん、飛び込み競技だからこそ得られたものがたくさんあります。でも、これが自分のやるべき道なのかなと感じてはいましたし、飛び込みしかしてこなかった自分がコンプレックスというか、他の世界も見たいとずっと思っていました。

 

── そのような思いを抱えていたなか、約4年後になぜ再び挑戦することを選んだのでしょうか?

 

馬淵さん:理由はいくつかあります。引退後にオリンピックや世界選手権に解説者として関わるようになり、第三者としてアスリートを見たときに純粋にかっこいいと思ったこと、「自分だったらこの舞台でどんな演技をしたのかな」と考えてワクワクしていたことに気づいたからです。

 

また、自分が執筆している雑誌の企画の連載でさまざまなトップアスリートにお話しを伺うなかで、どの選手も「やめたい」とか「つらい」と思う時期があり、それを乗り越えたことで成長したという話を聞き、恵まれた環境にいたのに自分は考えが甘かったなって、もっとできることがあったのではと思うようになりました。

 

── 再び挑戦するのは大きな決断だったと思います。その間に結婚と2度の出産など大きな生活の変化もありましたよね。

 

馬淵さん:もちろん、復帰をするとなると環境も何もかも変える必要があったので不安はありました。でもそれ以上に「やるなら今しかない」という気持ちのほうが圧倒的に勝っていて、悩み始めて1か月で決断しました。

 

── いざ再開してみていかがでしたか?

 

馬淵さん:2017年の1回目の引退後は復帰をすることはまったく考えていなかったので、やっていた運動といえばジョギングや体型維持のためのちょっとした筋トレぐらい。

 

いざ競技を再開してみると感覚的な問題はありませんでしたが、自分の感覚と自分の体のギャップがすごすぎましたね。わかりやすく言うと、子どもの運動会で自分は走れると思って走ったけど、足が追いついてこない保護者みたいな。本当にそういう感覚でしたよ、「あれっ?」みたいな。まずは、感覚とカラダを擦り合わせるためにトレーニングをみっちり行いました。

 

── 心が折れそうになったことはありませんでしたか?

 

馬淵さん:もちろん2回目の選手生活でも、乗り越えるべき壁はたくさんあり苦しいこともありましたが、自分がやりたいと思って始めたことだったので最後の踏ん張りがききました。

 

その点が1度目の選手生活のときとまったく違いましたね。今回の挑戦で、自分の意思でやることが一番成長するんだろうなと、何かを始めるときに「これが好き」とか、自分で意思決定をすることの大切さは感じました。

 

── 目標としていたパリオリンピック出場は叶いませんでしたが、日本選手権の種目で2連覇も果たしました。2023年のシーズンをもって2度目の引退を発表しましたが、引退後の心境は1度目と異なりましたか?

 

馬淵さん:1度目は自然な流れで始めた選手生活だったので、これが本当に自分のしたかったことなのかとか、飛び込み競技が好きかどうかもわからないままの引退でした。

 

でも2度目は、本当に自分が飛び込み競技をやりたいという純粋な気持ちだけで始めたので、やっと心が満たされたというか、心の底から飛び込み競技が楽しかったと思えましたね。これが自分自身を表現できる道なんだと確信できました。