乃木坂46のメンバーとして活躍し、現在2児のママとして子育てに奮闘中の衛藤美彩さん。幼少期に骨に腫瘍ができ、手術をした経験があったそう。大人になり母となった今、当時を振り返り思うことを語ってくれました。(全5回中の1回)
あまりのショックに父はその場で気絶した
── 衛藤さんは幼少期に足の腫瘍が見つかり大きな手術をなさったそうですね。発覚したときのことを教えてください。
衛藤さん:幼稚園の年中さんだったので、当時4歳か5歳でした。幼かったので、自分の記憶というよりかは母から聞いた話になるのですが、幼稚園の運動会の玉入れの練習をしているときに、私がジャンプして地面に足をつけるたびに痛がっていたようです。それを見た先生が「骨折かなにかで足を痛めているかもしれません」と母に連絡して、そのあと近くの病院へ行くことに。
そしたら「これは大きな病院でないとダメだ」と言われ、その日のうちに転院することになりました。父も病院に来て、レントゲン検査をしたら、足の骨に腫瘍があることが判明。先生が「悪性か良性かきちんと調べないと分からないけど、この大きさは悪性だった場合、助からないかもしれません。とにかく手術をして骨を切断して組織を検査してみないとわからない」と言われたそうで。父はショックのあまり、その場で気絶してしまったんです。父が倒れて病院のベッドに寝ていたのは覚えています。父に聞くと、そのとき頭が真っ白になったんだと。
── いきなり娘の生死にかかわる事態が発覚し、ご両親は驚かれたでしょうね。さいわい腫瘍が良性だったとのこと。
衛藤さん:検査入院したり手術したりと慌ただしく物事が進みましたが、さいわい結果は良性でした。その間、母は娘を失うかもしれないという恐怖のなかで過ごして、生きた心地がせず、とても苦しかったと聞きました。
母の「もし娘が助からなかったら、私も逝く」
── 大きな病気かもしれない、と幼いながらにも怖かったことだと思います。入院生活や車いすを使っていた当時のことを覚えていますか?
衛藤さん:当時は幼くて事の重大さを認識していなかったので、運動会に出られないのが嫌だとか、そんな程度の気持ちだったと思います。手術後は切断した骨がくっつくまで広範囲をギプスで固め車いす生活でした。
自宅で安静にしていたのですが、子どもは回復も早いみたいで。リハビリなどをしながら歩けるようになりました。とはいえ、低学年のうちは走ることが禁じられていましたし、不自由が残る部分はありました。小学校は階段しかないのですが、お友達や母が付き添ってくれるなど、周りにたくさん助けてもらいました。その後、中学3年生になるまで毎年検査をして再発していないか調べました。
入院中の話ですが、当時4人部屋だったんですけど、突然個室に移動したのを覚えています。あとで大人になって聞いた話ですが、向かいのベッドのお姉ちゃんが亡くなっていたんだと知りました。いつも折り紙とか教えてくれた優しいお姉ちゃんがいなくなり、当時は「治ったからおうちに帰ったんだよ」と言われていたんです。ですが、同じ部屋の子が立て続けに亡くなってしまい、両親も精神的につらくなり、無理をしてでも個室に移動したんだと明かしてくれました。
── ご両親も、闘病するお子さんたちを目の当たりにし、ショックを受けられたことと思います。もし娘の腫瘍が悪性だったらと思うと結果待ちの間は気が気じゃなかったのではと想像します。
衛藤さん:転移があれば足を切断する可能性があると言われたようです。当時、家には両親が読んでいた病気に関する本がたくさんありました。もし娘がこうなったらどうなるんだと調べる日々だったそうです。母は「もし娘が助からなかったら、私も逝く」という気持ちだったようで。自分の命に代えても惜しくないと「身代わりになるので助けてください」と毎日お祈りしてたと言います。
私も母となり、もし同じ境遇で息子や娘がそうなったらと想像しただけでも、母の気持ちがわかる気がしました。変われるなら変わりたいと。私もそうなるだろうなと。