世界選手権銅メダル、ソチ五輪代表を経て引退へ

── 長いアスリート生活のなかで、特に印象的だった出来事はありますか?

 

高橋さん:けがをして回復するまでの葛藤と、毎回けがをするたびに強くなって帰ってくる自分を知れたことはすごく大きかったです。けがをすると、どん底を味わうんですよね。体は動かないし、練習はできない。復帰への見通しがつかないような大きなけがもしているのですが、そこで必ず自分は一番頑張るし、もっと違うものを吸収する。みんながみんなそうではないかもしれないけれど、私の場合は「どん底から這い上がる過程で一番成長できる」と思うと、とても勇気が出ます。アスリート生活のなかで、けがを通して得た経験が一番印象深いです。

 

特に回復するのに時間がかかってつらかったのが、2012年、20歳のときに経験した、肩関節脱臼と膝蓋骨骨折の同時手術でした。全身が動かないのでとてもつらくて、寝ても座っても立っても痛いし、精神的にもお先真っ暗という気持ちになりました。

 

── 2012年は、ちょうど世界選手権で銅メダルを獲得されたときですよね。

 

高橋さん:そうです。世界選手権直後に、振りつけで日本に帰国していた最中で。「3位だったからもう次は1位でしょ!ぐんぐん来ているぜ、このペア!」と言われているような時期でした(笑)。

 

やはり競技面で言うと、あのけがさえなければ…という思いはあります。足首がゆるくなってしまって、みんなが耐えられるところを耐えられずに転倒してしまうことが多くなりましたし、けがのあとは技の難易度も年々下がっていきました。

 

でも、価値観の面ではスケートへの見方が変わりました。このけががきっかけで、諦めていたオリンピックにもう1度挑戦してみようという気持ちになれたし、今やれる精一杯のことをやることに価値があるんだと考えられるようにもなりました。

 

かつては、失敗すると「こんなに頑張ってきたのに無駄じゃん!」と思っていたのですが、頑張ってやってきたことで結果的に失敗してしまっても、「それまでの頑張りに対して自信を持てるから次につながるんだ」という考え方に変わりました。ペアの相手に対してもずっとリスペクトはしていたものの、私に幼い部分があったので、時には「なんであそこ失敗しちゃったの?」とか「なんでケガしちゃうの?」と言ってしまうことがあって。でも、けがを経験してからは、自分がけがをしても相手がけがをしても、今やれることをやろうという考えで対応できるようになりました。

 

── 2012年9月ごろに手術をして、翌年5月ごろに復帰。2014年にはソチ五輪というハードスケジュールでした。

 

高橋さん:当時は肩をまだ三角巾で吊るした状態で練習していたので、すごく大変でした。努力がなかなか報われない時期もあったのですが、徐々に順位を上げていけたのは、当時新しくペアになってくれた龍一(木原龍一選手)がとてもサポートしてくれて頑張ってくれていたことと、自分自身がけがによってマインドを変えられたことが理由だったと思います。

 

そして何より、チームがすごかった。コーチ、ケアのトレーナー、メンタルトレーナーもついてくださっていた万全のチームでしたし、練習拠点だったデトロイトでは、日本人のコミュニティの方々が気分転換までサポートしてくれて。チームで行ったソチ五輪だったと思います。

 

── 2018年3月には現役を引退されました。きっかけを聞かせてください。

 

高橋さん:うすうす伸び悩んできていました。世界が遠ざかっていく実感がして、このままやっていっていいのだろうかと思い始めていました。当時ペアだった柴田嶺くんはどんどん上手になっていくのに、私自身には成長を感じられなくて。2012年の自分を常に追っているような感覚があり、あのときに戻そうと頑張っていたけれど現状維持で精一杯という状況でした。

 

スケーターとしてこの年齢でやっていてどうなんだろうと悩む気持ちもあったので、嶺くんには練習中に「私はスケートをやっていていいの?」と変な質問をして困らせたこともありました。でもそのたびに「やりたくなかったら辞めればいい。でも、僕は一緒にやりたいから、頑張れるなら頑張ろう」と言ってくれる優しいパートナーでした。そんななか、2018年の平昌五輪で補欠になってしまって。頭の片隅にあった、休学していてなかなか通えなかった大学を早く卒業しなきゃという気持ちと、五輪代表に選ばれなかったということをきっかけに、引退を決意しました。

 

世界のみんながどんどんうまくなっていくなかで、自分だけが止まっているということを実感してしまった以上、嶺くんの足を引っ張ってしまっているんじゃないかと思って。きれいごとかもしれないのですが、辞めることに決めました。ただ、スケート自体は揺らぐこともありましたが、ずっと好きで、今もすごく好き。見るのもやるのも考えるのも、全部大好きです。

 

── 引退後に卒業された慶應義塾大学でのキャンパスライフはいかがでしたか?

 

高橋さん:2010年に入学して、10年かけて卒業しました。シーズンが始まると休学して、そのあいだにどんどんクラスメイトが変わっていくので、キャンパスライフらしいキャンパスライフは送れなかったんです。でも長くいたからこそ、入学したときと卒業するときの大学へのモチベーションが全然違っていて。入学当初はスケートに役立つことを勉強しようという思いで通っていて、最後のほうは引退が重なっていたので、今後につながるコミュニティを作りたいとの思いから、そのために必要なことを学ぼうという感じで。10年間大学にいられてよかったなと思いました。

 

PROFILE 高橋成美さん

1992年1月15日生まれ、千葉県出身。2012年世界選手権ペア銅メダリスト、2014年ソチオリンピック日本代表を経て、2018年3月に現役を引退した。以降は松竹芸能に所属し、コーチングや解説、バラエティ番組などで活躍する一方、2023年6月からはJOC評議員・JOCアスリート委員・日本オリンピアンズ協会の理事に就任。今年8月開催予定の「北海道マラソン2024」では、アンバサダーとしてフルマラソンにもチャレンジする。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/高橋成美