元フィギュアスケートペア選手の高橋成美さんは、小学校4年生のときに当時“ペア大国”だった中国へ移住し、ナショナルチームに入って活躍していました。日本に帰国してからは、渋谷教育学園幕張高校の受験、カナダ移住、慶應義塾大学に入学、世界選手権、ソチ五輪と、多忙な日々のなかで公私ともに結果を残しました。体重管理で生理が来なかったこと、世界選手権銅メダル獲得後に負った大けが、引退を決めた理由などについて話してくれました。(全3回中の2回)
父の冗談をきっかけに渋幕受験を決めて
── 帰国後、中学校でもスケートでもなじめない期間があったなか、高校受験では渋谷教育学園幕張高校に合格されました。勉強とスケートの両立は大変だったのではないでしょうか?
高橋さん:中学3年生のころに山田孔明くんという選手とペアを組むことができたのですが、日本の環境下でペアをやるのはすごく厳しかったんです。ペアの場合は、練習時間が日本でも朝2時から5時という枠しか予約が取れなくて、1時間の練習につき5~6万円かかるので、レッスン料などを含めると1日に20万円ぐらい必要で。さすがにこれ以上はダメだという状況のときに、父が冗談交じりで「渋谷教育学園幕張高校に行けたらスケートを続けていいよ」と言ったんです。私は「もうそれしかない!」と。偏差値もよく分かっていなかったのですが、渋幕に行かないとスケートができないと思ったので、中学校3年生で受験を決めました。
勉強がすごくできるというわけではなかったですし、実際に数学は2次関数のあたりでヒーヒー言っていたのですが、3か月間だけ通った塾で習ったことがたまたまテストに出て。「あれ?これ、塾の教科書?」みたいな感じで解けて、合格することができました。そのぶん、入ってからがすごく大変でした。
── 高校入学後はいかがでしたか?
高橋さん:渋幕は海浜幕張にあるのですが、稲毛海岸の「アクアリンク千葉」というところにスケートの先生がいてくださったので、学校の延長線上でスケートも続けていました。でも、しばらくすると仲のいい友達ができて、両親には「練習した」と嘘をついて学校帰りに遊んでいたこともありました。
勉強にもついていけないしスケートもこんな状態だし、私は何をやっているんだろうという気持ちにさいなまれていたなかで、やっぱり自分はフィギュアスケートが好きだし、ペアが好きなんだ!という結論に辿り着いたのが、高校1年生の1学期が終わるころだったんです。
それで、夏休みに入るときに「ラストチャンス!お願いします!」と両親に頼んで、カナダにいるリチャード・ゴーティエというコーチに「最後のチャンスで、ペアのトライアウトを受けさせてください」とメールしました。コーチからも「すぐに来なさい」と返事をいただいて、父も「これで諦めがつくなら」というような感じで、母と一緒にカナダへ行かせてくれて、トライアウトを受けました。
1年生のときは高校に在籍しながら少し留学するというような形を取っていたのですが、カナダで出会ったマービン・トランとペアを組んで日本代表としてジュニアグランプリシリーズに出場したときに、これまでの感触と全然違ったんです。「え!こんなに光が見えるんだ!世界が見える!」みたいな。もうこんなベストパートナーには出会えないと思ったので、「日本に帰っている間は彼と練習ができないから、カナダに住みたい」と両親に言ったら、了承してくれました。2年生のときにカナダの高校へ転校することになりました。
「生理が来ないことは恵まれていると思っていた」
── カナダではお母さまとふたり暮らしだったんですよね。
高橋さん:はい。母とはいつも一緒で、遊びに行くのも母としか行ったことがなかったです。母は栄養の専門学校へ通っていたので、料理も得意で、30品目くらい摂取できるよう食事を作ってくれていました。うどんを足で踏むところから手作りしてくれたり、春巻きをすごく少量のフレッシュな油で揚げてくれたり、野菜と食物繊維がたくさん入っていて食べれば食べるほどきれいになるようなオリジナルケーキを焼いてくれたり。
今はまったく違うのですが、当時はコーチ陣にもまだ体重に関しての知識がなかったので、あいまいに「軽いほうが飛べるし、ペアの場合は持ち上げられるんだからなおさら軽いほうがいい」とか「この体重のときは調子がよかったね」とか、調子が悪いときは「太ったんじゃない?じゃあ減らしなさい」と言われるような感じだったんです。私の場合は中国にいた9歳のころからコーチに体重を管理されていて、500グラム増えると500グラム減るまで走ることが当たり前だったので、練習でせっかく減らしたのに食べるのがもったいないという思考になってしまっていて。少食だったので、母が少しの食事でも栄養がたくさん摂れるようなメニューを作ってくれていました。
── 減量によって生理が来ないこともありましたか?
高橋さん:そもそも、来たことがなかったです。周りの選手は一定の体脂肪率を超えたタイミングで生理が来て、体重をしぼって止まったりすることがあるようなのですが、私は成長が遅いうえに、ずっと食べるのがもったいないという思考だったので、体脂肪率が超えることもなくて。もちろん、お医者さんはよくないことだとおっしゃるのですが、私自身は毎日調子がよかったですし、みんなからも「いいよねー。来てなくて」と言われていたので、「やっぱりそうなんだ。来たらつらいんだ」と思っていて。生理は来ないほうがいいと考えていたのが正直なところです。
母はお医者さんから「骨粗しょう症になったり、将来子どもが産めなくなったりするかもしれない」というお話を聞いていたので、ものすごく心配していました。でも、当時の私は「生理が来ないことは恵まれている。つらくもないのに、なんでそんなこと言うの?私は今スケートがうまければ、将来はどうなってもいいのに」と思っていました。
引退後の2018年に、初めて生理が来ました。スケートを辞めてから冷静になってみると、選手時代が終わってしまって、残されたのは選手ではない人生しかないので、来てよかったなと思うようになりました。ただ、身体が重く感じるようなこの感覚で当時の練習をやろうと思うとできないなとも感じるので、みんなが「来てなくていいよね」と言っていた気持ちもわかって、少し複雑ですね。