精神科病院に入院して思ったこと

おかもとまり

── 精神科病院に入院していることについて、ご自身ではどう受け止めていましたか?

 

おかもとさん:最初の1か月ほどは、自分自身のことで何も考える余裕はありませんでした。お笑いタレントをやっていたため、おかもとまりだとバレたくなくて人目を避け、マスクで顔を隠していました。

 

気持ちが変わったのは、2か月目くらいからです。閉鎖病棟から一般病棟に移ることが許可されて、同時に時間制限はあるもののスマホの使用が許可されました。少しずつ気持ちが落ち着いてきたこともあり、「私は熱海の旅館に来た、創作活動をしている作家だ」と思うことにしたんです。

 

ほんの少し考え方を変えただけでしたが、だんだんとワクワクした気持ちになれました。退院したらやりたいことを書き出し、アニメの企画書と、メンタルケアの講演会講師の台本と企画メールを書いたりしていました。メンタルヘルスケアの重要性を人に伝える仕事がしたいと思えるようになりました。

 

── 入院中に仕事を再開できる意欲がすごいです。

 

おかもとさん:精神科病院に入院したことは変えられない事実だから、だったらそれを強みにしようと思って。私、コンプレックスを個性に変えるのが得意なんですよ。芸能界を引退する前、私はものまね芸人としてやってきました。まわりの先輩芸人さんたちを見て学んだことは、どんなマイナスなことで笑いに変える力を持っているんですね。精神科病院に入院したことはマイナスだと思われるかもしれないけど、学んだこともたくさんあります。

 

そこから積極的に先生や看護師さん、患者さんと話すようになりました。時には別の患者さんの悩みを聞いたり、よく癇癪を起してしまう子の対応を手伝ったりしてました。おかげで先生たちからも頼られることが増えてきました。以前は、ノートにひたすら子どもの絵を描いていましたが、気持ちが外に向き始めたことで、退院後にやってみたいことをメモするようになりました。

 

── 精神科病院にはどれくらいの期間、入院されていましたか?

 

おかもとさん:3か月です。入院当初は、これまで大事にしてきた仕事と子ども、両方を失ったと思って、本当につらかった時期がありました。でも、かえってそれがよかったのか、シンプルに息子を育てるために生きたいという気持ちが芽生えました。

 

いままでは見返りを求める愛だったと思いますが、入院して何もかもがなくなり、初めて子どもの存在に真摯に向き合ったことで、与えるだけの愛もあるんだと気づけたんです。そう考えたらすごく気持ちが楽になり、自分はどう見られてもいいから子どもを自分の手で育てたい。子どものために働こうと思えるようになりました。

 

PROFILE おかもとまりさん

1989年生まれ。群馬県出身。ものまね芸人と活動しながら、映画『青の帰り道』を企画し原案を担当。現在は1児の母でありメンタルケアの講演会講師、絵本の制作、ブロガーやインフルエンサーとして活動。

 

取材・文/間野由利子 写真提供/おかもとまり