2018年に精神科病院に3か月入院していた、おかもとまりさん。仕事も子どもも失ったと考えたと語るおかもとさんが、どのように自信と向き合っていったのか。(全3回中の3回目)
精神的な限界に達して…
── ものまね芸人としてブレイクされたいっぽうで、2018年に体調を崩され、精神科病院へ措置入院されました。ここに至るまでに何があったのでしょうか?
おかもとさん:2015年に結婚しましたが、その頃から不調が続きメンタルヘルスクリニックに通院していました。一時期、症状は安定していたものの強いストレスから気持ちが不安定になることがありました。
ある時、私は東京で用事があったので2歳になる子どもを群馬の実家で面倒を見てもらっていたんです。でも、メンタルヘルスクリニックで処方されていた薬を飲みすぎて気持ちが不安定に。突然、子どもに会いたくなってそのまま車道に飛び出してしまったんです。幸いにも誰かが保護してくれましたが、気づいたら私は精神科病院の閉鎖病棟にいました。当時のことは記憶があいまいですが、どうやったら私の気持ちをわかってもらえるのかな。私がいなくなればいいのかな。そんな気持ちだったことは覚えています。
── 入院される直前、X(旧Twitter)で引退宣言をされました。
おかもとさん:離婚を考えていた時期だったため、精神的な限界に達していたんだと思います。翌日、仕事があったにも関わらず、Xで引退宣言をしてしまったんです。仕事は大好きでしたが、その仕事を辞めたら苦しさに気付いて貰えると思い、そのまま芸能界を引退することにしました。
── 精神科病院の閉鎖病棟に入院されたそうですが、入院当日の記憶はありますか?
おかもとさん:1日目、2日目は牢屋みたいなところに入れられたと思います。外から鍵がかけられていました。閉鎖病棟に入院した人は、最初の数日間はこの部屋で過ごすことも多いようです。
── ご家族、とくにお子さんと連絡は取れましたか?
おかもとさん:閉鎖病棟ではスマホの持ち込みが禁止されているんです。そのため病棟の公衆電話からテレホンカードを使い、毎日実家に電話して子どもの声を聞きました。閉鎖病棟に入院している間、息子と離れ離れになるのが本当に不安で、とにかく少しでも子どもと話したい気持ちでいっぱいでした。
当時2歳だった子どもはまだ言葉がはっきり話せなかったんです。そのため私が電話口で「ママだよ。大好きだよ」というと、子どもがうんとうなずく。たったそれだけでしたが、子どもの声を聞くことで希望が持てました。
── 閉鎖病棟ではどのような生活を送っていたのでしょうか?
おかもとさん:スマホもなく、話す人もいなく、毎日することがないためひたすら廊下を歩き続けていました。病棟には本も少なく、テレビも相撲ばかり。主治医の先生の診察は3日に1回程度。閉鎖病棟ではカウンセリングも受けられないんですよね。
食事は、少なめ、普通、大盛りに分かれていました。最初は食欲がなかったため少なめの量から食べ始めましたが、徐々に頑張って普通サイズまで食べられるようになりました。