明治大学応援団バトン・チアリーディング部を卒業後、富士通フロンティアレッツとして活動していた土屋炎伽さんは、27歳のときに出場した「ミス・ジャパン」でグランプリに輝きました。新しい自分を見つけたくて応募したコンテストでしたが、「選んでいただけたことはうれしいけれど、挑戦してよかったと言うには迷いがある」と振り返ります。応募に至るまでの経緯と抱えていた思い、会社員とチアリーダーの両立で多忙だった日々などについて話してくれました。(全3回中の2回)

会社員とチアの両立、3時間睡眠で出社することも

── 社会人になってもチアを続けることを前提に就職活動をしていたのでしょうか?

 

土屋さん:初めから決めていたわけではなくて、食品メーカーや旅行会社などを受けていました。就活を始めたころは、体育会の部活動を頑張ってきたことは強みになると思っていたのですが、面接では「大学で何をやっていましたか?」という質問に対して「4年間、応援団でチアをやっていました」と答えると、「ほかには何をやっていましたか?」と聞かれることが多くて。「今まで全力を注いでいろいろなことを乗り越えてきたのに、この4年間を生かせないんだ。認めてもらえないんだ」というような気持ちになってしまい、すごくショックを受けたんです。

 

内定をくださった企業もあったのですが、なんとなくしっくりこない気持ちで就活を終えようとしていたときに、明治大学の応援団に富士通のチアリーダー募集の用紙が届いて。「これだ!ここなら自分のチアを生かせるかもしれない!」とピンと来て、チアのオーディションと会社の採用試験を受けることにしました。

 

── 富士通へ入社後、会社員としてはどのような業務を担当していましたか?

 

土屋さん:入社後は営業の人事部に配属となり、海外駐在や転勤、中途採用、昇格、評価に関する手続き、育休などの面談を担当していました。仕事量も調整してくださってとても恵まれた職場だったのですが、皆さんがまだ仕事をしているなか、私だけは仕事を切り上げて夜の練習に行かなければならないこともあって。やはり申し訳なさがあったので、早いときは朝6時すぎに会社に行って、残業できなかった分の仕事をして、夜は体育館で練習をして、終電で帰宅する。3時間ほど寝て、また出社するというような生活を送っていました。

 

ダンス自体も、大学と社会人ではまた少し違っていて。大学のときは比較的パキっとしたダンスで、髪をしっかり結わえて人の上に乗るスタンツをすることも多かったのですが、社会人になると、髪を下ろしてダンスの一部として魅せる女性らしいダンスになるので、そのあたりも難しかったです。参加が必須の練習は週3回だったのですが、汐留の本社から川崎の体育館までほぼ毎日通って、先輩にダンスを見ていただいたり自主練をしたりしていました。大学の応援団を終えてホッとしていたところから、また応援団生活第2弾スタート!という感じで、これまでとはまた違った厳しさがありましたね。

 

── 特に厳しかった場面はありますか?

 

土屋さん:チアでは年に1度、継続オーディションというものがあって、その日が1年で1番緊張する日でした。OGのスタッフリーダーさんや部長さんに数人ずつダンスを見ていただくのですが、少しでも妥協したように見えるパフォーマンスやアピアランス(メイク・ヘア・ウェア)は見抜かれてしまうんです。なので、身につけるオーディションウェアも慎重に選び、1年間の成果を出すよう心がけていました。緊張感が走る1日でしたが、「わ!こんなチアリーダーになりたい」と尊敬する先輩方がいたので、乗り越えることができました。

 

富士通チア時代の土屋さん

「ほののチアが好きだから」家族の言葉が原動力

── 大変な環境のなか、チアを続けることができた理由を聞かせてください。

 

土屋さん:選手って、頑張っているじゃないですか。頑張っている人に「頑張れ!」と言うためには、その人以上に自分が頑張っているという感覚を持っていないと、応援する資格がないと考えていて。「頑張れ!」と言うことの責任を持つためには、自分が絶対に妥協しない、疲れていても手を抜かないということをモットーにしていたからだと思います。チアリーダーってただ踊っている人ではなくて、劣勢のときやここぞというときにこそ、存在意義があると思うんです。そういうときにいかに観客席から声や応援を引き出せるか、自分たちがどんなときにも声を届ける、全力のパフォーマンスを届けるという責任感があったからこそ、13年間チアを続けられているのかなと思います。

 

── チア人生のなかで、特に思い出深かった出来事はありますか?

 

土屋さん:大学4年間のどの出来事も思い出深いものばかりですが、就職活動で悩んでいたときに、弟が「ほののチア、もう1回見たいよ」とか、家族が「ほののチアが好きだから」と声をかけてくれて。周りの人がそう言ってくれることが思い出だったり、私の原動力だったりしました。


富士通のチアの活動は、主にアメフトと女子バスケの応援、そして時折川崎フロンターレのイベント出演がありましたが、特にアメフトは強豪チームなので、決勝戦の舞台に立たせてもらうことも多くありました。東京ドームでの決勝戦には、部長をはじめ職場の皆さんが応援に来てくれて。部署の数名が早めに仕事を切りあげて、席を取ったりお酒を買いに行ったりしてくれて、試合が始まると「土屋さーん!」と声援を送ってくれて。そういうところが企業チームのよさだなと思っていました。

 

富士通には、高校を卒業してすぐに活動を始め、東京オリンピックにも出場した女子バスケの町田瑠唯ちゃんという選手がいて。彼女は知り合ったときからずっと「富士通で優勝したい」と言っていたのですが、常勝チームもあってなかなか難しかったんですね。でも最近、13年間かけてついに優勝したんです。そんな仲間の活躍を見られることも幸せです。

 

── 太鳳さんが「チア☆ダン」に出演された際は、アドバイスをすることもありましたか?


土屋さん:そうですね、一緒に練習しました。妹もモダンダンスや創作ダンスをしていたので、踊るのはすごく上手なんです。でも、チアには独特の手の形や決まった形があるので、同じ位置で手を止めるということが難しかったんでしょうね。家でもモーションや手の動きを伝えたり、「もっとここで止めるといいよ」などと声をかけたりしました。撮影がない日に、チア☆ダンメンバーが自主練をすることになっていて。1度だけそこへ行って「もうちょっとこうするといいよ」というようなお話をしたこともありました。