『ZIP!』などのテレビ番組で活躍する気象予報士の小林正寿さん。スポーツマンらしい爽やかで明るい笑顔で人気です。気象予報士を目指したきっかけや毎日つけている「反省ノート」などについて伺いました。(全3回中の1回)
不名誉なあだ名の原因は、関東地方の雪予報の難しさ
── 気象予報士を目指されたきっかけは?
小林さん:中学生のとき、「デマ」というあだ名をつけられたことがきっかけです。ある冬の朝、テレビで天気予報を見ていたら雪の予報だったので、学校で野球部の仲間に「今日は雪らしいよ!」と伝えました。冬の練習は、外での走り込みが中心できつかったんですが、雪が降ると室内でのラクなメニューになるからみんな大喜びでした。
でも、その日は結局晴れて雪は降らなくて。その日から僕のあだ名は「デマ」になりました。この「デマ事件」をきっかけに、「天気予報ってどういう人がやっているんだろう」と注目するようになったんです。
── 雪の予報が外れることはよくありますよね。
小林さん:そうなんです。当時住んでいた茨城県もそうですが、関東地方の雪の予報は難しいんですよね。関東地方の冬は乾燥した晴れの日が多くて、雪が降るのは、南側を低気圧が通るパターンです。ただ、低気圧付近では雪や雨になっても、低気圧の中心から離れるほど雲が少なくなって晴れることもある。
あの日も、茨城は晴れていましたが、東京や神奈川、千葉では雪が降っていました。低気圧の位置を正確に予測するのは難しくて、前日の夕方と当日の朝で、予報が大きく変わることはよくあります。今なら、こうやって解説できるから、「デマ」とは呼ばせないんですけどね(笑)。
── 小さい頃から、天気予報に興味があったのですか。
小林さん:特にそういうわけではありませんでした。子どもの頃は地理が大好きで、3歳くらいの頃から、時間を忘れて地図を読み込んでいました。道路地図を見ながら、「こういう経路で電車を走らせて、ここに駅があったら便利だろうな」と自分なりに考えて、スケッチブックに電車の路線図を描くのが趣味だったんです。地形や所要時間も考えていました。
おかげで日本中の地理が頭に入っているので、テレビで天気予報をお伝えするときも、細かい市町村名や河川の読み方がわかりますし、川がどのあたりを流れているかがイメージできます。
あとは、なぜか小さい頃から「テレビの仕事をするんだろうな」という予感がありました。幼稚園のとき、おゆうぎ会で「おてんきボーイズ」というアニメの主題歌を踊ったのも、今思うと運命だったのかもしれません。
無気力だった大学時代に「このままなんとなく生きてていい?」
── 本格的に気象予報士を目指されたのはいつだったのですか。
小林さん:本気で考えたのは、大学4年生のときです。高校も大学も、志望していた学校には行けなくて、無気力になっていました。大好きだった野球も、高校に入ったら「野球選手になれるわけじゃないし、なんの意味があるんだろう」と思って辞めてしまったんです。学校もサボってばかりで、勉強も全然しませんでした。『SLAM DUNK』に、ケガをしてバスケットボールをやめ、自暴自棄になって不良になってしまう三井寿というキャラクターが出てくるんですが、まさに彼のようなメンタルでしたね(笑)。
大学受験でもろくに勉強しなかったので、「受かるだろう」と思っていた第一志望の大学に落ちてしまって。なんとか合格した大学に入ったものの、「自分は何をやってもダメだ」と自己嫌悪に陥っていました。
あの頃は、将来の夢も見失っていました。「教職だけは取ろう」と単位を取って教育実習に行ったのに、教員採用試験に落ちてしまって。一般企業への就職活動はしていなかったから、「この先どうしよう」と。改めて自分の人生を真剣に考えたとき、「このままなんとなく生きていっていいんだろうか」と思ったんです。
中学時代の「デマ事件」以来、気象予報士という仕事はずっと頭のどこかにはありました。大学に入学した頃に、「この1冊で気象予報士試験に合格できる」みたいな本も買っていたんです。「一生に一度くらい、全力で頑張ってもいいんじゃないか」と自分に言い聞かせて、試験を受けることにしました。
── 気象予報士試験は難しいと聞きます。
小林さん:気象予報士の試験は1月と8月の年2回で、予報業務に関する一般知識、専門知識、実技試験の3つに分かれています。「3回までに受からなかったら、地元で就職しよう」と決めていたのですが、大学卒業後に初めて受けた試験では、全科目で落ちてしまいました。
それからは、高校受験や大学受験の比にならないくらい勉強しました。2回目の試験で一般知識と専門知識に合格して、3回目で実技試験に合格することができました。
── 晴れて気象予報士になれたのですね。
小林さん:気象予報士は国家資格ですが、試験に合格したからといってすぐに仕事につながる資格ではないんです。僕はウェザーマップという会社に所属していますが、初めての仕事は、テレビの朝の番組でお天気お姉さんが読む原稿を書くことでした。週1回の仕事で月収は5万円ほどだったので、気象予報士として食べていくことはできなくて、しばらくアルバイトをしていました。
24歳のときにCS番組『TBSニュースバード』のオーディションに合格してから、テレビの仕事が増えていきました。それから11年間、ずっとテレビに出続けて天気予報をやらせてもらえている自分は、恵まれていると思っています。
── オーディションで評価される理由をご自身ではどう分析されていますか。
小林さん:私のどこを評価していただいているのか、正直なところわかりません。ドラマや映画のオーディションもそうだと思うんですが、どんなに演技がうまくても先方が求めている人物像でなければ選ばれない。こればかりは運命なんじゃないかと思います。
ウェザーマップに所属が決まったときのオーディションでは、当時の社長だった森田正光さんに「質問に即答できていたのがよかった」と評価していただきました。好きな映画を質問されて、「『トイ・ストーリー』です!」と即答して、自分では「気象にまつわる作品を答えるべきだったんじゃないか」と後悔したのですが、それよりも、「生放送では即答することが大事だから」と言っていただいて「なるほど」と思いました。
そういえば、初めてウェザーマップに出社した日は大雪でした。電車が遅れて遅刻してしまって、先輩に「それくらい予想できないのか」と叱られました。「デマ」というあだ名をつけられたときといい、初出社日といい、雪には何かと縁があるのかもしれません。
気象予報士はプロ野球選手と同じ?入念な準備が自信につながる
── 気象予報士として大事にされていることを教えてください。
小林さん:気象予報士のいちばんの仕事は「命を守ること」です。大雨や台風、大雪の予報には伝え方に特に神経を使います。たとえば、朝晴れていても雷雨になる可能性があるなら、「しっかりした傘を持っていったほうがいいですよ」とか「雷が鳴ったら、大きい建物の中に入ってください」ということまでお伝えするようにしています。
天気予報のせいで、その日の予定だけでなくて、人生まで変えてしまう可能性だってありますよね。大事な商談を中止させてしまうかもしれないし、運動会が中止になると喜んでいた子の心を沈ませてしまうかもしれない。だからこそ、正確な予報をお伝えできるように、できるだけ準備をします。
── 具体的には、どのような準備をされるのですか。
小林さん:天気は刻一刻変わっていくので、天気図の分析は、オンエア前に1時間くらい集中してやります。アナウンサーの方が読む原稿を書くことはありますが、自分自身の原稿は準備しません。生放送で急に尺が変わることも多いので、予報をしっかり頭に入れておいて、あとはその場で短編にしたり長編にしたりします。そういうアレンジは、僕は最初からあまり苦労なくできるほうだと思います。
そのぶん、放送後の反省は好きなだけ時間をかけてやります。僕は毎日「反省ノート」をつけていて、分析した天気図や、予想が外れたポイントなどを書いています。この仕事を始めた頃から続けているので、100冊以上になりますね。反省ノートをつけることで、「こういう天気図のときは外しやすい」という傾向がわかります。
いっけん天気に関係ないことも、準備につながります。たとえば、天気にまつわるエピソードをお話しするには、天気とは直接関係ない知識や情報も必要ですよね。そのために、あらゆるジャンルの本を乱読するようにしています。
休みの日に、大きいショッピングモールへ出かけるのもそのひとつです。みなさんがどんな服を着ているのかを観察して、どんな服が流行っているのかを店員さんにリサーチします。同じ気温や湿度でも、着る服によって体感温度が変わるので、そのシーズンにみなさんがどんな服を着ているのかを知っておきたいんですよね。
── 徹底されていますね!
小林さん:野球選手も試合のあとは体のメンテナンスをするし、試合前にウォーミングアップをして準備をしますよね。入念に準備をして、終わったら振り返って反省をする。そうすることで自信を持って本番に望むことができます。そういう意味では、気象予報士もプロ野球選手も同じだと思っています。
PROFILE 小林正寿さん
気象予報士。茨城県常陸大宮市出身。専修大学卒業後、2012年に気象予報士となり、2013年からウェザーマップに所属する。目標は、日本一思いやりのある気象予報士。2019年より日本テレビ系『ZIP!』にお天気キャスターとして出演中。著書に『しゃもじがあれば箸はいらない』(KADOKAWA)がある。
取材・文/林優子 画像提供/小林正寿